昨日、継母の娘さん家族成田に

継母と、継母の弟さん、継母の親友のTさん、通訳のために同行して下さったLさん、そして私は、13:55分到着予定のCA925便が着くのを、今か今かと待ちかねていた。13分遅れて、14時8分、やっと掲示板に着陸の表示が。
それから待つこと一時間。次女の愛莉さんの姿が視界に入った。愛莉さんは継母の姿をすでにとらえておられたようで、視線を一点に集中させて、小走りに走って来られる。
そのひたむきな視線を感じたとたん、胸がいっぱいになってしまった。あとは、こみあげてくるものを抑えながら、皆さんと次々に握手をするだけであった。皆さんは、緊張されている様子であったが、お元気そうでまずは安心した。
通訳に、継母と同じ団地にLさんと言われる中国人ご夫妻がおられるのだが、その夫人が同行して下さっていて、本当に助かった。再会を喜び合う言葉が、わずかでも通じ合うことで、気持ちが和み親愛の気持ちがより増してくる。
継母と愛莉さんと美娜さんが抱き合い、涙を流している様子を前に、私は一年前の51年ぶりの再会の感動の日を思い出し、(ああ、またこうやって会えてよかったなぁ・・・)としみじみと私なりの喜びに浸った。

思い起こせば、私は、昨年、継母が娘に会いたいと言い出した時、心から継母のために、娘さんたちを何としても探し出して会わせてあげたい、と思い、祈り、真摯な気持ちでそれにあたったのだった。この時の自分の懸命な気持ちは真実のものだったといつでも言いきれる。だが、継母と、継母にいつもついていて、何かと継母の世話をして下さっているTさん(普段、継母の親友と私は言っている)から、思いも寄らない不快を受け、私はひどく傷つき、それから以後は、それに耐えなければならない日々となってしまっていた。だから、今回の娘さん家族を招待することは勿論継母に賛成していたが、その準備を担わされることに、疲労感を強く持っていた。実際、夫の介護が日に日に重くなっていたし、私は介護と動物の世話で、決して大袈裟ではなくボロボロ状態に疲れ切っているのだ。私は今回も心にわだかまりを増やしてしまったのだが、それは、継母とTさんが、私が夫の状態が悪くなっていて大変だ、と言うのを、まるで、継母に協力をするのが嫌だから口実に言ってるだけだ、と決め付けている節を、たびたび見せられ、やりきれない寂しさに苛まれていたのだ。しかもTさんは、自分のやることが順調なときは、私に口も手も出すな、自分が、別の人の協力を得てやるから、といわんばかりであるのに、それが行き詰ると、私に、「Kさんは親子なんだから。」と私が骨を折るのを求めるのである。ほんとに、私にしたら、気を使うことが多く、やりにくく、気持ちが離れるばかりであったのだ。

でも、愛莉さんたちの笑顔や涙を見ていたら、なにもかも忘れて、愛莉さんたちの日本での十日間が、心豊かな楽しいものになるよう尽くそうと思う。(といっても、もう予定は組まれていて、私があれこれすることはもうないのだが。)
何はともあれ、さまざまな経緯を経て、継母の念願が叶い、私はほっと、私なりの喜びを持っており、また今回も中国人のLさんご夫妻にひとかたならないお世話になったことを、心から感謝している。娘探しでお世話になった許さん、今回の来日でお世話になったLさんご夫妻を通して、私にとって、中国は本当に親愛を深く感じる国になっている。
<写真は、取材に来て下さった千葉日報のF記者氏から提供していただいたもの。説明はサイト『風立つままに』に>