このブログは休止中ですので非公開にしていましたが、私の過去ブログや日記の問い合わせが時々ありますので、「新・MAOlog 風立つままに」http://d.hatena.ne.jp/noras/ともに公開しておくことにしました。

ただこのブログは、閉鎖した日記やブログ記事の転載倉庫のようにしていますので、読みにくいと思いますが悪しからず。

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「Blog版 MAOMAOジャングル」http://d.hatena.ne.jp/maomao2008 で、雑記帳のようなブログ活動をしていますので、よろしかったらのぞいてみてください。

「ふりーふろあ」ブログから「社会の出来事」を移す その3(05年2月〜1月)
2005年02月23日
恐るべし古狸企業
ついさっき、報道ステーションで、日本放送が新株予約権を4700余万発行してフジテレビに売るというニュースをやっていた。
株や経済問題に本当に無知蒙昧の私でも、「あーっ!」と驚いた。
さんざんライブドアのやり方を違法だとか汚いというようなことを言って、自分を被害者の位置においていたくせに、経済界、政界、放送界よってたかって老獪狡猾なやり口を出してきたものだ。
まさに恐るべし古狸たち!(あ、狸さん、ごめん! 狸さんたちこそ迷惑だね。)

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2005年02月22日
日本テレビ 出来事
21日の夜10:53からの日本テレビのニュースに、ライブドア社長が生出演のようなので観たが唖然。
女性司会者とキャスターのT氏の、礼節のなさと品性の卑しさしか感じないインタビューに驚くばかり。
いったいどうしたんだ?
いかにゲストが気に入らないからと言って、あんな失礼なインタビューはないでしょ。
日曜日のテレビ朝日サンデープロジェクトといい、低劣ないじめとしか見えませんね。

子供の世界にいじめが充満して、しかも自分がいじめていると気づかぬ子供が多いというのも頷ける。
子供は大人を見習って大きくなる。テレビのアナウンサーやキャスターなら見習うに足りる大人と思うでしょ。
これからどんどん、稚拙で品性のない礼儀知らずの意地の悪い人間がふえていくってことよね。嘆かわしい・・・。

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2005年02月19日
賠償金6000万円
さっき夫と観ていたニュースワイド番組で、公園で小学四年生の子供同士がキャッチボールをしていて、一人の子の投げた球が近くでみていた10歳の子供の胸に当たり、その子が亡くなった事件で、ボールを投げた子供の親に、『6000万円賠償するように』という判決が出たと報じていた。

この報道だけで、実際の状況はまるでわからないのだから、門外漢がとやかく思うのは冒涜と自分に言い聞かせながらもそれでも思えてしまう。
(亡くなった子供とご両親は本当に気の毒でならないが、こうした裁判と判決が当たり前になるのは正当なことなのだろうか?)と。
ニュースによると、暴投だったという。キャッチボールをしていて、本当にとんでもない方向に投げてしまうことはよくあることだ。その球が人に当たってしまい、その人が怪我をしたり、まして死んでしまったら、投げた子供自身も重い苦しみを持つことになる。
その上に今回のこの子は、裁判で裁かれ、親に多額の賠償を支払わせるという償いを負わなければならない。・・・・・・すっかり考え込んでしまった。私にはわからない世の中にどんどんなっていく・・・・・。

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2005年02月18日
ライブドアの株下落
ラジオで、アメリカの証券会社がライブドア株を大量に売却し、ライブドアの株が下落していると報じていた。株の専門家という人が、「ほりえもんさんは
根回しなどして動くべきだった、早や過ぎた。今やライブドアは大変なことになった。」というようなことを言っていた。

株うんぬんをわかろうとは一向に関心がわかないこともあって、こうした状況のことは感受感覚がないのだが、私がほりえもん氏に関心を持つのは、彼のオタクな生き方にである。
オタクと言っても、私は”負(マイナス)”の位置においてのことではない。
簡単に言えば、”オタク”感覚を”負”のイメージに固定させて、社会に参加させない今の世間(社会)に、オタクとして自立して大きな力をもって参加している彼を評価しているのだ。
今回の彼の言動を報道を通して見ると、”闘ってる”という感じに見えてならないのだけど、その闘いは経済人としてではなく、メディアという世間(社会)をつくっている巨大な力を持つ世間(社会)に、参加しよう、としているに過ぎないという気がするのだ。時間外なんとかかんとかの手段は、決死のチャレンジだったのだろう。

そういう目で見るせいか、私は彼がお金を持っているということは”才能”と理解している。そして今回のことは冒険者のようにさえ思う。

フジテレビの社長は世慣れている。これまで経済と権力の上でなんらかの踏み付けをしてきただろうに、今回のことでは、しおしおとしている。まるで世間の同情を得て自分を有利にしようとしているようだ。実際、彼の望むとおりになっている。多くの企業と日銀がライブドアを徹底的に非難しているそうだ。
こういう世間に、ほりえもん氏のようなタイプの事業家が対等に評価されるようになると、社会は少しは広くなると思うけど・・・。

私個人は、社会がどう変わっても何も関係ないけれど。

ともかく、ほりえもんの才能がいたぶられることのないように願う。

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2005年02月16日
攻防 ライブドア対フジテレビ
何事にも無知な私だが、特に株に関わることはラテン語きくよりわからないのだけど、ライブドアとフジテレビの攻防は報道も多いだけに関心がわく。
ライブドアの進出を乗っ取りのように言う人がいるけど、そうなの?
株の操作をして、これまで営々と築いた会社を横取りするのはけしからん、とインタビューに答えている人もいる。
この考え方、感じ方って、場合によって絶対的にその通りのこともあるだろうと思うが、フジテレビに関しては、これを当てはめて、ライブドアを悪者にするのはどうかな、という気がする。

二三日前のラジオで、「ほりえもんは左翼が送った最終兵器という人がいる。」と言っていた人がいて、この人は、この顛末を面白がって「こうやって変わっていくのはいいんだよ。」というようなことを言い、ほりえもん氏に好感を持っているようだったが、左翼の最終兵器には思わず大笑いしてしまった。もちろん、ジョーダンで言われていることだろうけど、ピーターパンは左翼も右翼も関係ないね。むしろ、場合によったら、どちらからも憎まれる可能性大でしょ。
ピーターパンの宿命だよね。
どうでも、この今の閉ざされた世間に、結果的に風穴を開ける人は反発くうのだから。

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心の闇
また17歳の少年の事件だ。少年はカバンに二本の包丁を入れて、卒業した小学校に行き、三人の職員を刺し、刺された男性教師が亡くなった。

ついさっき、この事件の報道をテレビで見たのだが、報じていた記者かアナウンサーが、『心の闇』と言ったことに拘りを感じてしまった。以前もこのことを日記に書いたことがあるのだが、心の闇ってなに?

事件とは関係ない話題にとぶが、昨日、ある友人から電話があってしばらく話した。彼女は、前衛舞踊家で公演を終えたばかりであったから、私も舞台の成果のことなど聞きたいと思い、しばらくは気分よかった。
ところが、彼女が私の夫の介護や動物の世話の重さを心配して、話題がそれに及んでからおかしくなった。
彼女が、私の苦労を、「神はその人が背負えない苦しみは与えない。」という言葉で慰めてくれたのである。彼女はいつも、本当に真心をもって、親身に私を思いやってくれる人なのだ。この言葉もまさに彼女の心からのいたわりであったのだ。
そのことは重々わかっているのに、この日私は、この言葉をきいたとたん、切れたのである。私にとっても思いがけないことであった。
私は、「もうたくさん! そんな言葉、この世の不条理に苦しんだことのないシアワセな人のセリフに過ぎないわ。」と烈しく彼女の親身を拒絶したのである。

このあと、私は善意のかたまりのような親愛するこの友を傷つけたことを、苦しくてならなかったが、言ったことを後悔しなかった。
私は、本音を言っただけなのだ。
私の疲労は尋常ではない。
ふと、(動物たちと夫と自分を家に閉じ込めて、火をつければ、みんな一緒にこの世から消える。)と思うことがある。
本当に私がこうしたら、人は、私の衝動をさして”心の闇”と言うのだろう。

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2005年02月11日
チャールズ皇太子の結婚
イギリスのチャールズ皇太子が結婚(婚約?)したという報道が流されている。
生きてる人が幸せを望むのは当然のことだし、何の関係もない遠い国の凡々の私などがとやかく言うのはお門違いというのものだけど、何かダイアナさんがいたましく思えてならない。
ダイアナさんが元気な頃は、関心があったわけではなかったのだけど、非業の死の後、その儚さが気の毒でならなく感じるようになったのだ。


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2005年02月09日
ライブドアニッポン放送株35%取得
このニュース、痛快だなぁ。ホリエモン氏ってやっぱりピーターパンなんじゃないかしらん。
私はお金に縁がないので、お金にまつわる夢や指針のようなものはこれまで感じなかったが、この人のお金の使い方をニュースなどを通してだけどみていると、『お金持ちになるのも悪くないかも』って気になってくる。
薄っぺらな革命家気取りの『俺たちの手で世の中かえよう!』なんて寒さもないしね。

片や変わりもんやはみ出しもんを排除して世の中に氷をはらせようという波がうねっていて、片や私のような貧乏な凡人には読めないうねりもある。
結構、面白いかも。生きてるのも。

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2005年02月04日
ところで・・・
めぐみさんの遺骨とされた件での北朝鮮の”日本の遺骨はめぐみさんのものではないという調査結果は捏造だ”というアクションには本当に怒りたい。
被害家族の方々が、「経済制裁を!」と叫ばれる心中を思うと言葉も出ない。

だが私はやはり思う。被害家族の方々の気持ちは国も私たちも受け止めるべきだが、経済制裁が最良の方策であるのか、疑問に思う。
埒被害者の方々にとって、日本にとって、そして北朝鮮の圧制にあえいでいる人たちにとって、本当にそれがいいのかと。
それにしても、過去の日本の罪の重さを思い知る。

NHK問題の一端。番組内容を政治家に事前におうかがいをたてるというニュース。
これはずうっと心ある職員を苦しめてきたことだと思う。
この問題をうやむやに終わらせるとするなら、NHKは本当につぶれるだろう。

noraya2004 at 11:42|Permalink │Comments(0) │TrackBack(0) │clip!


2005年01月31日
出来事から
パソコンの設定から電話回線まで狂わせてしまったらしくここ何日間か、電話もパソコンも使えなくなっていた。不眠不休でなんとか自力で環境を整え、こうしてブログの書き込みもできるようになった。めでたいなぁ。とはいうものの、なぜかホームページビルダーが起動せず困っている。・・・これは脇においといて、最近の出来事から気になっていたことを書いておきたいと思う。

<桶川のストーカー殺人事件>
桶川のストーカー殺人に警察の責任を問う裁判の判決が出たが、『警察に責任なし』という判決はやりきれなさ過ぎる。
テレビの報道によると、警察は、詩織さんが殺される前に書いた遺書のような文面を、『情緒で書いたものに過ぎない』という意味のことを言い、『遺書とはこういうものだ』と、自殺した犯人の一人が書いた文面を、詩織さんのご遺族に提示したそうだが、これを聞いたときショックで目がくらみそうだった。

この判決を含めてこの事件で感じることは、現代の人間の質への恐ろしさだ。
裁判で浮き彫りにされた警察権力の低劣性と社会性の貧困、そして今回の判決で知るように、そうした低劣と非社会性を擁護する、より強大な司法。
殺された女性を近隣の人が誹謗してはばからない雰囲気があったということ、娘を殺された両親の懸命の訴えに対して、やはり近隣の人が冷ややかだったということ。

・・・だが当事者のご両親は、「自分たちがへこたれたら、また泣く人が出る。」と毅然とされている。実際、心ある人たちが多く支援されているのだろう。

失望した出来事。
看護しの在日韓国人の鄭さんが提訴された、『外国籍の昇進差別訴訟』に、『昇進試験を受けさせないことは、合理的な区別で憲法には違反しない』という判決。
自分の国にまたまた大きな失望を覚えた。残念だ。
この判決って、都の意向に沿うべく、”行政の正当性を探し当てて出した判決”じゃないの? そんな匂いがぷんぷんする。情けなくて悲しすぎる。
鄭さんが言われた、「世界に言いたい。日本には来るな、と。外国人が日本で働くことはロボットになること。人間として扱われない。」この言葉を、みんなしてかみ締めたいね。今のままでは、自分たちだけ(強い側、多数の側)心地よくしていればいいって骨なしの人間ばかりになってしまうぞ。(多分、殆どの人はそれでいいのだろう・・・。)

何んであれ、当事者の魂の言葉から何を得るか。
地位やお金を得た日本人の多くが、当事者の魂の叫びに不感症になっているが怖い。

NHKの問題。
あまりに上層部の体質が滑稽で、まともに頑張っている職員の人たちが気の毒になってしまう。

でも、あの体質、どこでも似たようなものがまかり通っているんじゃないかな。小さなサークルの中でも、上になるとああなってしまう人が多い気がする。というより、あのような体質を持つ人こそ、”能力”とされその場を牛耳る位置をしめてしまうんだよね。みんなそういう人についていくのが楽なんでしょ。

いろいろな場でいろいろな問題が露呈されていく。それは洪水や津波のような力をもって、これまであったものを押し流していく。
組織に限らず、個人個人にもそれはきているのではないかな。
私自身は、それを実感する。自分のこれまでのことの結果。まさにまいた種は自分で刈らなくてはならない時期だ。

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2005年01月22日
NHK対朝日
この問題、とうとう双方が提訴すると息巻く事態になっているようだ。
自然の流れなのだろうと思う。夫がNHK職員の現役であった若い頃、社宅住まいをしていたが、そこで感じるここの体質のようなもにに馴染めなくて苦しかった。
どこに地方の社宅でも、素敵な友人と出会い、特に私は勢いはいいけど生活能力のない頼りない人間で、そうした性格を愛してくれる先輩に大事にされ、今もその方々に励まされたり力になってもらっている。
だけどそうした意味を離れての社宅内に漂うものを、とても受け入れられなく感じることは多かった。
(こんな意識で番組を作っている人ばかりなら、必ずNHKは潰れる。)と思うこともあった。それらは夫人を通して感じるもので、実際内部をわかっていることではなかったが。またわかろうとか窺うとかという意識は私にはなかった。私はどの時代もノーテンキでノンポリでおっちょこちょいな個人主義の人間でしかなかったのだ。

でも夫が、55歳の時に局の食堂で出演者の方と食事中に倒れ、その時が一回目の脳梗塞であったのだが、それを機に退職した時、正直ほっとしたものだ。
何か私たちにはそぐわないところで頑張ってきた、もうあんな頑張りは終わった、とうほっとしたものだった気がする。

NHKは、今回の問題を機にどのように変わるのだろう。

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2005年01月20日
NHK朝日新聞の怪
NHKの番組に政治家の圧力があったという朝日新聞の記事が捏造だというNHK側の記者会見。ただただ口をあんぐり! どっちが嘘をついているにしろ行き違いのことにしろ、こんな程度の低い国がほかにあるだろうか!?
私は日頃、私ほど頭の悪いノーテンキな人間は他にいないとつくづく反省しているのであるが、その反省を忘れそうだ。それどころか、『私なんかましな方だ!』と威張ってしまいそうだワ。

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2005年01月18日
NHKの体質
政治家がNHKの番組の内容に介入して、番組を修正したというニュースのその後はどうなったのだろう。
テレビや新聞やネットの動向に気をつけてればいいのに、疲労が激しくてなかなかそうもいかず、そのくせこんなことを書いているのは、あのNさんのその後が気になるからだ。
何かことがあると、権力を持つ側は自分たちの保身をはかって一人の”正義”を泥をもって踏みにじる。みんな、一人の正義の方こそが正しいと知っている。だけど、決して一人の正義の側には寄らない。みんな大勢の中の心地よい位置にいたいのだ。

昔、民放のあるアナウンサーがたったひとりの反乱をやったっけ。
私は消えていったあの人をよく覚えている。
私などが覚えていたところで何ということはない。でも、覚えている。忘れない。

Nさんの赤く充血した目も、私はずうっと覚えているだろう。
時には、犯罪を犯したひとを決して忘れまいと思うこともある。その人の罪は重いが、その人を追いつめた世間の罪はもっと重く汚いことを忘れまい、と思うとともに。

私はやっと、自分にできることは、忘れてはいけないことを忘れまいとすることだとわかった。たったそれしかできない自分であるとも。

えーと、これではタイトルの『NHKの体質』を書いたことにはならないなぁ。
私は別に、NHKの体質を書きたかったわけじゃないからいいのだけど、ではなぜ、それをタイトルにしたかというと・・・100人のうちの99人は、NHKの体質を持って生きているって思えてならないってことサ。
そう、心地いい位置を得るのが最終目的みたいな人間が多いってこと。それが悪いなんて思わないよ。ただ私とは関係ないって思うだけ。

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2005年01月14日
NHK番組に政治家介入で変更問題
慰安婦問題などで政治家が介入し、番組が変更になったという話。
この問題で関係者の国会招致の動きがあるそうだが、国会で明らかにするのは当然でしょ。民主主義国であるならね。

私は昔、幼稚園に勤めていた頃、教育の対談番組に何度も出演していたが、”政治家の介入”を今回ニュースで聞いて、(さもありなんかも・・・)と思ったな。
この番組出演を機に、ディレクター兼プロヂューサーをしていた夫と結婚したのだが、同僚の人たちが何人か集まると、こうした体質を憤り落胆している声がよくあがっていた。正義感の強い夫の同僚が辞めていかれた、辞めざるを得ない流れになっていった話を何度か聞いた。

典型的なノンポリだった夫(かと言って上層部にへつらうところは全くない人だったが。)に、今回の話をして、「どう思う?」と聞いたら、ただ沈黙していた。もうわからなくなっているのかもしれない。

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2005年01月13日
子供 人身売買
臓器移植の話題がおこった時に、私は臓器移植に反対と日記に書いたことがある。そう思う私なりの理由は書けなくはないのだが、ひとつあげると、臓器を求める殺人や人身売買がおこることへの恐怖心がある。この犯罪の底知れぬ冷たさと強欲は本当に怖い。人類を滅ぼすのは天災などではないことを実感する。

今回の地震津波で孤児になった子供を連れ去った集団がいるというニュースは、眠れないほど胸の底をむしばんでくるものがある。
その子供たちの殆どは、性的な道具にされるか臓器をとられるためだろうと、ラジオのキャスターが言っていた。聞いた時、憤りで、何か言おうとすると唇が震えて言葉にならなかった。
”希望”なんてことを思うだけで重大な罪を犯したような気になる。もう人間は滅びるしかないのだ、と思えてならない。

神はなぜ眠り続けておられるのだろう。

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中村修二氏の怒り
青色発光ダイオード(LED)の発明対価、8億4000万円で和解したというニュース。先日はこの件で、弁護士が、「画期的な和解」と中村氏側の勝利を喜んでおられたと思うが、昨日、当の中村氏は、声がひっくり返るぐらいの興奮を見せて、「日本の司法は遅れている!」とカンカンに怒っておられた。

和解額だけみたら、「8億なんだ、よかったじゃないか。」というムードがあって、中村氏は、「そういう問題ではない!」と言われているのだろう。
お金の額の問題ではなく、自分の発明したものの価値と、それによって会社や社会に貢献した価値の重大さの認識が違うだ。
私は青色ナントカがどういうものか実際にはよくわからないが、中村氏の云わんとされていることに、司法や企業や行政、そして私たちはよく耳をかたむけることが必要だと思う。

私たちが唯一真理にに迫れる手だては、”当事者”に虚心坦懐に心の耳や目を向けることだ。反意があるなら、その上でするべきである。耳も目もくれず力(無知という力も含めて)で押さえようとしていたら、世の中はますます不潔な霧に覆われてしまう。

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(16:31)

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clip!「ふりーふろあ」ブログから「社会の出来事」を移す その2(05年4月〜3月)
多分、ファイルの移動は簡単な方法があると思う。でも私にはわからない。だからこんなややこしいやり方をするしかない。
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2005年04月26日
列車脱線事故
今日は一日中多忙でテレビもラジオもつけておらず、福知山線脱線事故を知ったのは夜遅くであった。

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2005年04月20日
脱北者が再び北朝鮮
北朝鮮を逃げ出して日本に戻ってこられた日本人妻の女性が、脱北したのは悪い人に騙されたから、北朝鮮に帰りたい、と言って去っていかれたニュース。
夕べそのニュースを見てから以後、気になって仕方がないことがある。
自民党のHという国会議員氏の談話である。
彼は、「本当は北朝鮮に帰りたいのではなく、向こうにいる家族を日本に連れてきたい、ということなのだ。そう言ってこられたことがある。」と言ったのだ。

これを聞いて、「向こうに戻って行った女性の身の安全を脅かす言ではないか。」と気になったのだ。
彼は、彼女が日本に帰ってこられた時の尽力者の一人なのであろうと思うが、だから今回彼女が言った、「悪い人に騙された。」ということへの牽制でこの言葉が出たのだろう。また、日本に帰れるように尽力したというのは大変な苦労だっただろう。それを、「悪い人に騙された。」と言って向こうに戻られては、胸につかえるものもあるだろう。
だからといって、前述の言を口に出していいのだろうか。
彼女の安全は大丈夫なのか。心配である。

それにしても、多分生命をかけての決死の再度の北朝鮮入りを決意させたのは何なのだろう。
日本と日本人への失望であろうか。

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2005年04月14日
少年へのインタビューの映像
テレビ朝日報道ステーションで、少年院に入っていたという少年へのインタビューの様子が放送されていた。
夫が徘徊するので内容までは聴けなかったのだが、顔が出ない処理がされていたのだが、口の部分だけが大きく見えるような処理で、それがひどく気に障った。口元のあたりが薄蒼く不健康で異様な感じに見え、彼らをどのように思っているのかと気になってたまらなかった。
あのような形で口元を出すのにどんな意味があったのだろう。
もし私があの中の少年の親だったら、息子が重い罪を犯しているだけに何も言えないが、あのような処理をされていることを悲しいと思うだろう。

私はおかしいのだろうか。

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2005年04月12日
ダイアナさんのビデオを放送
ダイアナさんが生きておられた時は、殆どテレビで追っかけるなんて関心はなかったのだが、月曜日の夜に、ダイアナさんの真実がどうのという番組があるので、夫を就床させてから観た。
途中からだったのだが、ダイアナさんをビデオでインタビューしたもののようで、それはこれまで公開されていなかったものらしい。(でもビートたけしさんの番組で、一部分が出ていたのを覚えている。なんで福祉活動をするのか?という問いに、ひまだったから、ハハハハと笑っておられる場面。)

ダイアナさんは物怖じせずなんでも答えていた。皇太子との確執、継母への憎しみ、そして不倫のことも。そのことをゲストや司会のアナウンサーが驚いて不思議がっていたけど、私は彼女の気質は天の恵みではないかなと思った。
勿論誰にでもということはないだろうが、他者に警戒しないでたいてい無防備に自分を開いて対するという人間は少数だけどいる。
その人の孤独感や寂しさや不安などが、他者にそうなるということもあるだろうが、本当に恵みとしかいいようのないほど無防備な人間はいるのだ。

そういう人間の殆どは傷つくことが多い。
今日の放送を見て、(彼女は本当に孤独で苦しかったのだろうな・・・)としみじみ思った。
あらためて悼む思いがこみあげてきた。

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地震雲
土曜日にまた地震雲らしき雲を見た。
濃い紫色がかった雲のない夕暮れに沈む空に、ただ一本東西に横に伸びた雲であった。夫に、「この前地震雲を見た翌々日にスマトラで大きな地震があったけど、ホラ、今、出てるあの地震雲はどこに地震がおこることを示しているのかな。」と言ったら、夫はこの前のこともテレビで地震の特集を観たことも完全に忘れていて、「???」状であった。
私も、(あの雲が本当に地震雲かどうかわからないから気にしなくていいか)と思いそのまま忘れた。

でも千葉で震度5地震がおきた。フーム・・・?

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2005年04月08日
牧師(神父)の性犯罪
牧師が信者の少女に性的行為をしたというニュース。
学校の教師が教え子に性的な行為をいた場合、その行為はセクハラと呼称されているようだが、私はずうっと以前から、「セクハラじゃない、悪質な犯罪だ」と言っていたが、牧師または神父の少女に対するその行為は、あまりに憤りを感じて、極刑に科せられるべき極悪非道の犯罪だとすら思ってしまう。

もしニュースで報道されている通り、「地獄に落ちる」とか「神の思し召しだ、拒絶したり誰かに言ったら、教会を追い出す」などと言ってのことなら、その少女を殺したも同じでしょう。彼女は立ち直れるだろうか。そのことを思うと、憤りでどうにもならなくなる。

昨夜の報道では、教会の幹部が、嫌がる少女を牧師の部屋に連れて行ったということだ。おぞましさと怒りで目がくらみそうだった。少女のために泣く。私はイエスに帰依したといっても異端者だから、どのように祈ったらいいのかわからないのだが、少女が幸せな人生を送れるようにしてあげてほしいと、神に切に願いたい気持ちがわく。

思い出した。数年前だったと思うが、『イエスの遺伝子』という本を読んだ。マイクル コーディの原作で、科学者(だったと思う。教授?)が自分の娘がある病気でまもなく死ぬ遺伝子とわかり、娘を救うために、イエスの遺伝子をさがすのである。たしか、イエスの遺伝子は、イエスが死後横たわらせられていた岩やで歯が見つかって、わかったのだったのではなかったかな?(細部あやふや。重要なのに)
結局、イエスと同じ遺伝子を持つ人間が見つかる。
女性の冷血非情な殺し屋である。
この女性が、孤児で教会の孤児院にいたのだが、そこで少女の時代に、権力を持つ神父に、性的な虐待を受けるのである。やはり今回の事件の牧師が言ったという同じような言葉をもって少女を玩具にするのだ。
この少女は、ついに神父を殺す。このシーンは恐ろしい。少女の極限の悲しみと憎しみが、残酷な刑を神父に与えた、という殺し方である。
この日を境に、少女は、人間の心を喪失した比類なき残虐な殺し屋になるのだ。

実はこの少女は、彼女の手が病人や怪我人に触れると、病人も怪我人も癒える、という不思議な力を保持していた。大人たちは、少女の屈折した心をよしとしないだけで、癒しの手は誰も信じず、ずうっとあることで大怪我をした子を、直したあるいは直そうとしたのに関わらず、少女が悪意をもって怪我させたと思い込んでいたのである。
そうした土台があって、少女は殺人鬼になるのだが、科学者が刑務所に入っていたこの女性の遺伝子が、イエスと同じ、”癒す力”を持つと知り、女性を脱獄させ・・・・・・。

物語の筋を書きたかったのではないのについつい筋を追ってしまった。
今回の牧師の犯罪を知って、本当にあの小説の中のような悲しいことがあるのだと。
・・・あ、夫を迎えに行く時間になっている。ここで・・・。

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2005年04月02日
イラン戦の北朝鮮
何日か前のイランと北朝鮮の試合で、審判への不信から北朝鮮の選手が試合が中断するほどの抗議をし、試合終了後、多数のサポーターたちがイラン側のバス(?)を取り囲んでいるニュース映像が流れた。
私は思わず目をふせ、このことにはふれまい、考えまいと思っていた。だが、どこかのサイトで、この件でかなり北朝鮮への悪意のこもった書き込みがあると知り、自分が感じたことを、自分のために書いておこうと思った。

あのバスを取り囲んだ光景を見た時、<”宇宙の孤島”があそこに在る。群集は、絶望の叫びを発している。>と感じ、胸の底のなにかがえぐられるような気がした。とても正視できるものではなかった。
群集は、本当に相手チームや審判に叫んでいたのだろうか。別の何かに、絶望と憤激の声を絞り出しているような気がしてならなかった。

・・・こう思うことは、私の北朝鮮への見下しがあるのだと思う。それほど不幸な国なのだ、国民はみんな絶望している、とそのようにあの国を私は見下しの哀れみをかけているのだ。私が思わず目をふせたのは、そのことが悲しかったからだ。私はむしろ、あの抗議の光景を見て、「あなたたち、何してるの!? ”試合”の意味を知らないの?! やめなさいよ!」と怒って叫ぶ自分であったらどんなにいいだろうと思う。その方がずうっと健康的だ。

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2005年04月01日
バーレーン戦 日本勝利
30日のバーレーン戦、ちょっと遅いけど一、二言書いておこう。
相手チームのミスで点が入った時にはポカン状態!
でも次の瞬間、あの選手に深く同情するも、「やった! 勝ったぁーっ!」と一人で踊りました。
後、心に強く思いました。(ドイツには日本とバーレーンが行くべし!)
バーレーン、応援しますよ! 一緒にドイツに行きましょう!

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2005年03月30日
地震雲
27日の夕方近くのことである。夫と車で走っていたら前方の空に、一本の長い筋のような雲が、東西に伸びていた。あれ?と思った。前の日に地震関係の番組があって、夫が見ているのを後ろからチョコチョコのぞいていたのだけど、大きな地震の前兆に地震雲が出るというのを取り上げていた。
写真も何枚が出ていた。
それで27日の東西に伸びている筋の雲が、テレビで観た地震雲の写真と似ていたのである。
夫に、「ああいう雲、珍しいわね。昨日テレビでやっていた地震雲みたい。」と言ったら、どうせもう覚えていないだろうと返事をあてにしていなかったのに、夫が、「あ、ほんとだ。」と言ったので心の中で「オヨヨ」と言いつつ、ふと右手に視線を向けたのだが、思わず「あー!」と大声を出した。
右手、多分西の方角になるのだと思うが、そこに、やはり前日の地震の予知雲と言われていた、竜巻のようにまっすぐたてに伸びた雲が出ていたのである。

私は誰かに訊きたかったので、道筋にあってコンビニの駐車場に車を止め、空を見上げながら人を捜した。でもどの人も空の方を気にしている人はいず、訊きようもない。それで携帯で一番近く位置になる下館という町にある朝日新聞の支局に電話をした。
電話をしながら雲を見ていると、みるみる虹のような形になり、私のはるか頭上を覆うように片側が、その下館の方にわたっていく。
「見えるでしょ、雲の端が、お宅の町の方に行ったの?」
「いやぁ、部屋にいるので見えないのですが・・・」
「絶対、地震雲よ。ただ、それが出たからと言って、地震がおこるかどうかは知らないけど。」
「はぁ、そうですよね。おこらない方がいいですよね。」
「そうよね。昨日のテレビでは、大きな地震の前に地震雲が出たって言ってたけど、地震雲が出ても、地震がおこらなかったことも多かったかもしれませんものね。」
と、バカっぽい会話をしているうちに雲は消えた。
「テレビで、地震雲は10分ぐらいで消えるって言ってたけど、ちょうど10分ぐらいたったから消えました。では、失礼。」
私はそう言って電話を切ってから、「帰ったらブログに地震雲のことを書いておこう。」と呟いた。
ところがそれっきり忘れてしまった。
そして昨日、スマトラでまた大地震がおきたと聞いて、(あの雲はその予知だったのかな・・・。)と思った。遠すぎるし、そんなことはないと思うが、また被害の大きな地震のようで、なんだか気が滅入って仕方がない。

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2005年03月21日
佐世保 卒業証書2
佐世保の同級生殺害事件のことで、私がよく行く掲示板に書き込みがあり、あらためて躓くものを感じ、こう一度、ここに書きとめておくことにした。
掲示板は http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/6189/ の『サブサブ掲示板』である。

書かれた方は、卒業をテーマに書かれて、その流れの中で、佐世保の小学校の卒業アルバムのことを取り上げておられ、生徒の意見(被害少女・加害少女の写真をアルバムに入れるかどうするかの)と、被害少女の父親の意見を書き留めておられたのだ。
そして、父親の言葉として、「生徒も保護者も逃げずに意見を出して、感謝している」という意味のことが出ていたとある。

私は、このくだりの記事が、人の感動と共感をよぶものであることに躓いているのではない。
この誰もが胸にせまってくる思いとともにこの記事に感動するかげに、学校側の”逃げ”が見逃されていることに躓いているのだ。
記事は、生徒や父親の意見に焦点をあてているから、学校側の苦慮や熟考の仔細はわからないだけなのかもしれないが、私はやはり、加害少女の写真を入れなかった学校側の決定の考えをこそ知りたいと思えてならない。
その視点からみると、生徒と父親の意見を”美談”にして重要なことを逃げてると感じるのだ。

私は社会が欺瞞の花を咲かせることに腐心していってるような気がして、それをこの記事は表しているような気がして不安を覚えてならないのだ。

私がおちこぼれ者だからかな?
でも、私は幸いなるかなのおちこぼれだヨン。(笑)

今夜は死んだしんのために送り酒を飲んでいるのでヨレヨレ。(飲んでなくてもヨレヨレ)

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2005年03月17日
長崎 卒業証書
たった今のニュース番組で、長崎の同級生殺害事件のあった小学校の卒業式のことを報じていた。
殺された少女のお父さんが卒業証書を受け取っておられた。
私は、無念と寂しさをにじませておられるそのお父さんの姿をしんと見つめていた。

ニュースは、加害少女には卒業証書は出ない、と告げた。
私はこれをきいて、急に気持ちが躓くのを覚えた。
加害少女に卒業証書は出さない・・・これはどういうことなのだろう。
こうした裁断は、多分学校関係の人たちの思慮によるものだろうが、これは真に正義によった裁断なのだろうか。

もちろん、一人一人の気持ちに、加害少女を憎み排他する気持ちがおこるのはよく理解できる。人間として当然の感情だろう。

だが・・・被害少女に出た卒業証書が、加害少女には出さない、というこの”採択”が、社会ができていく上で重い意味を持つように感じられてならない。

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2005年03月16日
エロサイトと
この前、ライブドアとフジの様相を、『イージーライダーのような・・・』と書いていたら、ある人からメールで「どういう意味?」と問われたので、ちょっと説明しておこうかな。
でも説明なんかするまでもないですね。
あの映画は麻薬を身近なものとしているヒッピーが、自分たちの魂のままに自由を求めてバイクで放浪するんだけど、彼らの魂はアメリカにそれがあることを信じていた、その旅の途中に村人の銃に散る。
あの映画でピーター・フォンダはヒーローになり、デニス・ホッパーは大地みたいなものになり、ジャック・ニコルソンは人生は壊して生きることを教えてくれた強烈な存在になった。私のあの頃にとっては。(私は家庭を持って長男が生まれ、そとめには幸せな平凡な生活を営んでいるように見えていただろうけれど、私は自分という土壌にある”種”の異質に気づいたんですね。)

アメリカは結局、ヒッピーの彼らの求めることも価値観も感覚も一顧だにしないで殺してしまった。彼らの魂が求めたものって、アメリカがこよなく愛し大義にすらしている”自由”だったのに。
人が、自由や愛と言う言葉を使って自分をアピールするのは好きなくせに、真にそれを有している人を”抹殺”しようとしてしまう、人が背負っている”負の宿命”を感じたものだった。

今おこっているライブドアニッポン放送・フジの攻防を、それらにあてはめると、私には理解しやすい、というところです。
今日のニュース番組で、ある音楽関係の会社の社長が、「エロサイトなんかに・・・」と言ってるのを見て、ますますそう感じた。
彼らは、バイクで疾走するピーターフォンダとデニスホッパーに銃口を向けている村人と同じ目の色をしている、んじゃないかな。
一緒には絶対したくないんだ。

村人は恐るべしだ。あの”真理の人”酔いどれ弁護士、ジャック・ニコルソンを夜陰にまぎれて襲ってたたき殺したのだから。

ナンチャッテ! ここのところ風邪がひどくこじれて苦しいこともあって、その上、相変わらず動物のことで一難去ってまた一難という難事が襲ってきているものだから、なんだかすっかり酔いどれ弁護士になった気分になっている。
(笑)

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2005年03月14日
ライブドアニッポン放送の展開
ニッポン放送、フジテレビとも、絶対的にライブドアを受け入れるつもりはないようだ。高みの見物のような言い方で何だけども、感じとして、古い体制が新体制を拒絶するというより、もっと強い排他意識を感じますね。

何か、『イージーライダー』のような・・・。
ホリエモンさん、頑張って下さい。
・・・と、的外れなこと言ってる私、本格的な風邪のようだ。どうも昨年から体調がボロボロ。ダイエットに成功して6キロ痩せたなんて自慢してる場合じゃないみたい。
一昨日から咳がひどくて声が出なくなった。昨日の日曜日、ディに行かない夫に、「私の調子悪いから、今日は家でゆっくりしようよ。」と言ったのだが、夫はその時は、「わかった。しんどそうだね。」とわかったような相槌を打ってくれたのだが、十五分も経たないうちに外に出てしまう。
仕方がないのでついて歩いていたら、寒くて寒くてガタガタ震えるほどになった。(ヤバイ・・・)と思ったら案の定、夜に発熱である。
身体中が痛くて眠りが日頃にまして浅い上に、猫のバーコがばたばたと部屋中を走り回り、本当にもおお癇癪を起こしそうになった。
朝になってわかったのだが、いつもは猫の部屋の方にいるベアが寝室にいる。
うるさかったはずだ。バーコとベアは天敵同士で、ばたばたしていたのは二匹で牽制し合っていたらしい。

あぁあ、誰も私をそおっとはしてくれないつもりらしい。
私が死んだら、みんな思い知るゾ!

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2005年03月09日
ちびくろサンボ復刊”に関わる差別問題
下に書いたマッド・アマノさんのコラムのことは、『ちびくろサンボ』復刊に関することだ。
私はこのニュースを知らなくて、いくつかの掲示板に、差別の作品が復刊とはけしからん、と言う意見と、差別というのはおかしい、いい作品だ、という意見が書かれているのを読んで知った。

私は若い頃に幼稚園に勤めていて、この絵本を子供によく読んだものだ。その時、『差別だ』と感じたことはなかった。
だから、差別という意見が出て、たちまち、「そうだ、差別だ! 差別だ!」という声が溢れてきて、ちびくろサンボを読むのは意識が低い、間違っている、という考えが怒涛のように押し寄せてきたとき、本当に驚いた。と同時に、自分を持たない未熟者の私は、(そうなのか、差別の絵本か・・・。差別はよくないな・・・)とあっさり転んだ。

あれから大分経った今、再び、ちびくろサンボがさまざまに取りざたされている。正直のところ、よくわからない。
ただ、いろいろな意見を読んでいて、ちびくろサンボ愛する人の考えを、健康的に感じることが多い。

話はちょっと方向をかえますが、私は我が家に猫や犬を置いていかれる家になって、たくさんの動物たちと暮らしていて、『猫おばさん』と”差別”を受けている。もおひどいもんです。働く能のないおばさんで、猫や犬を助けると、どこからかお金をもらうのだろう、とまことしやかに言われてます。
こんなに懸命に守っているのに、飽きたら捨てているのだろうなどとも、まったくもってまことしやかに言われます。
誰もが、”自分の能力や愛の分量にあわせた見方しかしません”
そこで、私は心から思います。
”自分も人も、全て、自分の分量で人や事柄をはかるのだから、そこに、誰かに対しては常に”差別”になることを持ちえるのだ”と。
そういう意味において、真に自分の差別心と闘うには・・・うーん、やめよう。ここからは必要に思う人がそれぞれ自分に問うことだ。
私は人に説教たれたり、アジテーションするほどは落ちぶれてないよん。(ナアンチャッテ、落ちぶれ過ぎて力がない。)

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2005年03月08日
ブログの可能性
TOBの結果が発表されて、ホリエモンさんは今日のニュース番組に全部出演されているようだった。
私はTBSの夜の11時からの番組の筑紫哲也さんとホリエモンさんの対談を観た。『ブログの可能性』。
ホリエモンさんは、一言で言えば、「現在の放送体系に、ネット、例えばブログを通して、誰もが参加できるようになる」と、願望を含めてごく自然体で言っておられるのだと思うが、「テレビがなくなる」とか「殺す」とかという独特の表現が取り上げられてしまっているから、そうした言葉への反発を土台にした理解から入ってくる人たちと噛み合わないようだ。

NHKの不祥事が取りざたされている時、公共性とはなんぞや?という言葉で、NHKに対する不信をぶつけている意見をネットで多く見かけたけど、このブログを取り入れることで、公共性は増すのではないかしらん。
はじめての試みというのは何事にも具体的な想像が出来にくいから、ネットが主流のひとつになる放送界がぴんと来ないのだろうけど、要するに、『やってみる』勇気さえあればいいことだよね。

私はホリエモンさんが言う様な形体ができたらと思うと、ちょっとわくわくするな。
私が最も関心があるのは、『人間理解』ということなんだけど、こういう点でも、ブログ発信が普通に放送に入っていけるようになれば、絶対今の”狭さ”の突破口が自然にできてくると思う。

ある差別問題について、ある人の有名な言葉があって、ちょうどマッド・アマノさんも新聞のコラムに書いておられたけど、『邪は邪推するところから出てくる』という意味のこと(正確には忘れてしまった)を思い出すが、現在の世の中って、まさにこうなってしまっている気がする。
昔からこのことは感じているが、その人個人の癖や習慣や個性と認識できることまで、中途半端な知識で愛のない精神が、もっともらしく”悪”と決め付けてしまい、結果ほんとの”悪”に育ててしまう。・・・この風潮こそ悪貨だと私は思えてならないのだけど、これはやはり狭さからくるもんですよね。
ネットの参加は、人間観の土台を厚く広くすると私は思う。

私自身は、何か生きることに疲れてしまっていて、どこがどう、何がどうかわろうと、私にゃ関係ない、というところにいるけど、人間観が厚く広くなれば、犯罪も減る、発言もしやすい、と単純にわくわくはしている、というところ。少なくとも、人間以外の生物との共生の大事さをわかる人は絶対多くなるし。・・・結局、私の関心事はここのところが第一かな。

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2005年03月02日
わが子はどこ
今日の新聞に、『わが子はどこ』という記事があった。
ハンセン病患者の男性が、妻のおなかにいたわが娘が強制的に堕胎され、標本室に入れられた。その子に”真理子”と名づけ、男性は、『標本室の棚で泣くわが子の声を木枯らしの中で聞いた』と詩に書く。
のちにその標本の子は”処分”されていたという。
男性は、”真理子はどこに”と詩う。”真理子よ、そのお前は標本室にいないのです。真理子よ、今どこにいるのです”

記事によると、真理子ちゃんは、お母さんのおなかの中で六ヶ月になった時に、強制的に堕胎手術を施されこの世に出た。10時間生きたという。その母は二年後に亡くなった。

ハンセン病患者の人たちが、療養施設で、授かった子供を強制的に堕胎されていたというニュースは少し前に報じられていた。
あまりの惨さに胸をえぐられ、日記に書くこともできなかった。
そして今日、この『わが子はどこ』という記事である。
新聞をかき抱いて泣いてしまった。
自分が人間で生まれたことを恨みたくなる瞬間である。こういうことが何度もある。
それは自分を別においての思いではない。
自分も同じ人間であろうことを忘れてはならない思いが含む。
自分はそのような立場にいなかっただけのことだ、と。
とにかく、人間が悲しいのだ。人間が寂しくてならないのだ。

真理子ちゃんと、病に侵された上に、このような悲しみと恐怖を強いられた真理子ちゃんのご両親のためにひたすら祈る。

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(16:21)

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clip!「ふりーふろあ」ブログから「社会の出来事」を移す その1(05年8月〜5月)
2005年08月18日
ホリエモン氏の動向
ニュースではモリエモン氏が小泉首相から出馬要請をされ、それに応じられるらしいということだけど、ほんとかな?
うーん・・・? 

フジとの攻防を繰り広げておられた時、反逆児として拍手をしていた私としてはハテナ状態。なにしろ大人になったピーターパンとまで言ってたのだから。

でも、ホリエモン氏の人生はホリエモン氏が決めることだから、私などがとやかく言うすじのことではありませぬ。
ならば、ハテナブログに引越しをすることにした。

今日をもちまして、『Blog ふりーふろあ』は、はてなブログに移転します。
ブログタイトルも、『MAOlog 風立つままに』に変更することにします。
ライブドアブログはよくできていて好きでした。ありがとうございました。
拙文を読んで下さいました皆様にもお礼を申し上げます。
”拙文”は新ブログで続きますので、どうか今後ともよろしくお願い致します。

http://d.hatena.ne.jp/kazesk/ 

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2005年08月17日
ホリエモン氏が選挙ですって?!
ラジオで、ホリエモン氏が、今度の選挙に立つらしい、と言っていた。
まさか! ね? いえ、選挙に出る、ということに驚いてるのではありませぬ。
自民党から出る、というのでびっくらこいたのです。
そんなばかげたことしないでしょ。いくら人を驚かすテンサイのあの堀江さんだって。

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2005年08月15日
戦争終わったって?
今日は、60年前、戦争が終わった、という日。
その時は私は三歳だったから、敗戦当時の記憶はないが、年齢がいくに従って、自分の周りの出来事を脳裏に残していっている。
特に小学校でおこったことのいくつかは鮮明である。
学校で写生をしていたら、その日担任の先生が休んでいて別の先生がいたのだけど、その若い先生が、写生をしている生徒の画用紙を裏返しては、「よし」と言いつつ、こちらに近づいてきた。
私のひとり置いた隣りの男との子の画用紙を裏返してみたとたん、その子を烈しく殴打したのである。私は覚えている。「きさまっ、絵を描く前に名前を書いておけといったのに、書いておらんっ、きさまーっ!」
殴られた子は悲鳴をあげて泣き叫び、私は恐れおののいていた。私も名前を書いていなかったのだ。
男の子の悲鳴でほかの先生が飛んできて、殴打していた先生はとりおさえられた。
この日を境にその先生の姿は見えなくなった。学校の噂では、戦地から気がおかしくなって戻ってきたのだ、ということだった。

また別の出来事もあった。
村の運動会の時、進行の方法で、ある若い男性の先生と村のエライさんが対立し、先生対村人の殆ど、の形でにらみ合うことになり、若い先生は、まるでリンチのような仕業を受け、土下座して謝罪し騒ぎはおさまった。
あの日の、あの先生が、土下座して、目の前の村人を見上げた目を、私はいまだに忘れていない。”悲しみ”の目であった。
のちに、私はあの先生を気の毒だ、悪くないのに、というような言い方を祖母にもらした。すると、祖母は、「よその人の前で、今のようなことを言うたらいけん!」と言われた。

あの日の頃の私は10歳か11歳だったと思う。戦後の社会の変化の中で、どこの村も町も、今では信じられない、と思えるようなできごとがいっぱいおきたのだ。

あれから50年経った。
選挙戦、『刺客』だの『くの一』だのと文字通り狂騒である。
自民党の姿、やり方、私には、品性の卑しさと最も下劣な権力闘争としか思えない。
いったい戦後60年、人間は何を求めてきたのだろう?

本当に戦争終わったの?


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2005年08月10日
自民党のやり方
東京10区での郵政法案に反対した議員を潰そうと、小池Y子さんを対立候補に立てるというニュースに唖然としたが、ついさっきのニュースによると、他の選挙区でもこうした方策を考えているとか。・・・白けるというのか憮然というのか・・・最悪の気分だ。

どこの集団の中でも、何らかの画策が横行し、そうした画策に長けている者が勝っていく。(ごく一部の人です。私の悪しき癖です。このような書き方。)
陰湿な画策に抵抗する者の声もまた、その声を嫉妬だとか妬みだとかあるいはおかしいなどと巧妙に決めつけて封じていく。(これも一部の人。)
人の集まるところ、愛や義などという言葉は氾濫しているが、人類は日々、真実のものを失っていく。

国をあげてそうしていることの証明がこのたびの狂騒だ。思えば毎度毎度のような気もするけれども。

白けていてはいけないのだと、かたく思う。
さりとて、自分が愛や義を語ろうというのではない。そんなものは語ろうとした時にもはや欺瞞の花園に沈んでいくのだ。
ただ、生きるだけだ。自分の希望を失わずにして。

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2005年08月05日
気になる問題
気になる問題って、その時その時たいていのことがナンダカンダと気になるものだけど、そのうちのひとつに”石綿”の問題がある。
これの害については今や言わずもがなだけど、昔、四国の田舎にいた子供の頃、学校のクラスの子だったか近所の子だったか、”石綿”を持って自慢していたことを思い出す。たしかその子のお父さんが、石綿を使う会社に勤めていると言っていたような記憶である。
その頃、私の伯父は、その子のお父さんを、「良い会社に勤めていてたいしたもんだ。」とほめそやしていた。他の家庭の大人も似たような感じで見ていたと思う。それを聞いた私たち子供は、石綿石綿を持っているその子がうらやましくて、何度も触らせてもらったものである。その子の気に入られないと、触らせてもらえないから、だれかれとなく、その子のご機嫌までとっていたような雰囲気があったと思う。

それが今のアスベスト害の実状をニュースなどで聞くと、なんとなくぞおっとするものがあるのだけど、つくづく、化学のものというのは、”いい”と言われて飛びついて裏切られることが多く、それが国ぐるみで裏切られるから怖い。除草剤の問題、農薬の問題などなどしかりである。

除草剤や農薬がもてはやされていた頃、近所のお年寄りの人が、「あんなものうさんくさい、ろくなもんじゃないかもしれない。」と言っていたっけ。
今は、そういうお年寄りもいなくなられた気がする。・・・あ、私などもその部類に入っているのか・・・。いかん! 

眠くてならないけど、もうひとつ、書いておこう。
教科書問題である。
戦争をめぐる考えの違いは多々あるだろうが、私は教えられた思想の見地に立ってというより、戦争に行った父親の言葉や感情を無視できないと思っている。
父は言っていた。「日本は正しいことをしとると教えられて、戦争に行ったが、今思うと、どう考えても、日本は悪いことをした、と思えてしょうがないぞ。誰がどう美化しても、わしらもおついていけん。もう二度といやや。」と。これは三十年ほど前に聞いたことである。
今はその父も亡くなったが、もし現在生きていて、この教科書問題の騒ぎを見たら何と言うだろう。
「わしら、戦争に行ったもんにも書かせや。」とでも言うかな。

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2005年08月01日
足元に
今朝のテレビで、宇宙へ行った野口さんがアメリカのテレビでインタビュー
を受けて答えている画面が出ていた。
野口さんは、外に出て機体の点検などを6時間以上の時間をかけてやり通されたそうだが、宇宙に出た時、その風景に息をのまれたそうだ。
「足元に地球がくるくる回っている。」
野口さんのこの言葉を聞いた時、たちまち胸が感動でいっぱいになってしまった。

私は本当は宇宙開発に冷ややかである。
「そおっとしておこうよ。宇宙まで人間のものにすることないっしょ。」という感覚である。
だから、野口さんの言葉に感動したのは、野口さんの偉業に対してではなくて、野口さんの感性にです。宇宙の風景、地球が足元に見える風景に感動されたその視線、素朴だよね。

美しいんだろうなぁ・・・地球。
人類がはじめて宇宙から地球を見た、そのガガーリンさんの言葉、「地球は青かった。」という言葉を聞いた瞬間の胸のふるえは今も忘れない。

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2005年07月25日
堀菌?
22日に『なんとか研究所』の題で、入所していた三日の女子中学生が急死したことを書いたのだけど、ノエルさんの”堀菌”という言葉の入ったコメントが入っていて、実はこの時点でこの言葉を知らず、(堀菌って何だろう?)と思っていた。
昨日、サンデージャポンで、あの所長の記者会見?を流していてやっとわかった。

あの所長とかいう男、とんでもないことを言っている。自分と性交渉をもったらエイズが治る・・・とかなんとか。
怒りでほんとに拳が震えた。
そして、エイズにかかった若い女性が、この男のこの言い草に、わらをもすがりたいと信じようとしたのだろうか、と思うと、その痛ましさを表す言葉も見つからない。かわいそうでかわいそうで息苦しくなってくる。

こいつは他にもきっと、人の苦しみ、悩み、痛みにつけこんできたことが多くあるのだろう。ある意味、人殺し以上の罪だ。でも社会ではこの男の罪は重くは問われないのだろう。人間の”裁定”の限界・・・が虚しい。生き物に対する人間の罪も含めて。

こうしたおぞましい男の犯したことを、こうして書いていると、おのずと天をあおいでしまうね。天のもとでは、私も殆どの人間も、この男とそう大差のない罪を犯しているのだろうな、とふいに知らされてくるものを感じるからだ。

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2005年07月22日
なんとか研究所
健康食品をなんとかしているなんとか研究所に入所した中学生の女の子が、入所まもなく亡くなったというニュースに胸がつまってつまってならない。
解剖の結果、病死ということになったそうだが、例えば急激なストレス(孤独感や不安感や失望感など)が彼女の生命力を蝕んだ、などということはないのだろうか。

なぜこのように感じるかと言うと、取材に答えている責任者たちの言葉、態度から、亡くなった女の子への悼みの思いなど感じられず、なんとか自分の保身をはかろうと必死と見えて仕方がないのだ。
あの子に死が襲ったとき、その苦痛や恐怖や親へ助けを求める気持ちはいかばかりであったろう。そのことを思うとたまらない。また親の悔いの気持ち、自責の思いはどれほどの深さだろう。
祈ります。

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2005年06月11日
山口 光高校の事件
高校三年生の男子生徒がある教室に爆発物を投げ込んだ事件。いじめがあったのかという記者の質問に、学校側はあいまいに言葉を濁していた。

私たちが生きているこの地平には、川があれば、川のあっち側もこっち側も等しく生命を擁し、太陽の光注ぐ地平である。山のあっちとこっちも、海のあっちもこっちもである。その等しく生命を擁し、陽光が注ぐという意味において、私たちは”全てと同じ”ところに立っているのだ。

だが人間の”力”が作った社会というところにおいては、川をはさんで、あるいは山をはさんで、海をはさんで、異なるものを生み出してきた。”個性の違い”は、”生命あるものは等しく同じ”、と同じ意味だが、力がつくった社会においては、全てに優劣や高低などの意味が重要になっている。勿論、何かに対する優劣が出たり、高い低いがあるのは当然で、そうした存在も、価値としては、みんな”等しく同じ”なのである。

だが、人間のあるところ、等しく同じものはなくなった。力持つ者が主流としてあり、全ては彼らが価値付けるようになってしまった。
ここにおいては、川の向こうのもの、山の向こうのもの、海の向こうのものの悲しみや怒りなどすらわかる必要をもたなくなった。

悲しみや怒りの極地に追い詰められたものを、学校なり、地域なりに一人でも川や山や海を一気に越えて受け止めるものがいれば・・・追い詰められたものこそ、人間に必要な何かを抱き続けていたものであるかもしれないのに・・・。

識者の”いじめ観、いじめ論”がまたしばらく空しく響くことだろう。
必要なのは、なりふりかまわず一気に川を、山を、海を越えることだ。

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2005年05月29日
斉藤さんの死 旧日本兵
イラクで拉致された斉藤さんの死が報じられていた。
以前の報道によると、斉藤さんは二十何年間か勤めたフランスの部隊をやめた後、日本に帰って仕事を得たかったという。だが必要とされず、イラク入りの道を選ばれたのだという。
真偽のほどはわからないが、それを別としても、何という人生であろう。欺瞞に満ちているとはいえこの日本の平安の時代に生きながら・・・・・。
抜きん出た才能を持っていた人であったに違いない。それは決して兵士としての才能ということではなかっただろう。必要とされなかったことで、兵士にならざるを得なかったのかもしれない。・・・そうであったとしたら、どれほどの孤独を生きておられたのかと、望郷の念はどれほどであっただろうかと・・・妙に切なく悲しくてならない。

フィリピンで旧日本兵が生存されているという。今回見つかったらしい人は二人だが、ほかにもかなりの人数おられるという報道も。
二人の方はいずれも80歳を越えておられるらしい。
戦友という人が、テレビの取材に、「精神力肉体力が強靭であったのだ。」と言っておられたが、そうでなかった人は、ジャングルで戦争が終わったことも知らされず、力尽きて亡くなられた、ということであろうか。
なんと悲しく寂しく辛い話だろう。
あらためて、『戦争なんか・・・戦争なんか・・・戦争なんか・・・』と思った。自分のことではないのに、無念と悔しさが胸に渦巻く。
本当に、戦争なんか二度としてはいけない。

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2005年05月26日
日中関係
今日(25日)は一日あくびばかりしていた。眠くて眠くてどうしようもない日であった。
そんな中、犬たちの散歩の最中に、イツカとナナがまたまた大喧嘩! ナナは散歩に行かない子である。連れて行こうとしてもロープをつけると、でかい身体を地面に張り付かせて動かなくなるので、結局居残り組みになっているのだ。本人は庭の大半を自由に闊歩しているので、私も、ま、いいか、と気にしていないのであるが、それでも散歩に行った子に対してヤッカミを持つようで、散歩からイツカとチャーとオリュウとリバーが帰ってくると唸りたてる。
それでイツカがムカツクのだろう。喧嘩はいつもここから起きる。

今日も、イツカが散歩から帰ってきたところで、ナナに飛び掛り噛み付いてしまったのだ。毎度のことだが、ナナに味方をする子はいなくて、チャーたちはイツカの味方をし、よってたかってナナに噛み付く。一ヶ月ほどまで、ナナがダメージを大きく受けてしまい、西側のスペースに隔離していたのだが、いつの間にかナナが元に戻っていたのだ。(ナナはデカ犬だが身軽で柵を飛び越えてしまうのである。)

今日もかなりひどい状態になってしまい、仕方がないので、今日からイツカとチャーを西側に入れた。今はここは子犬たちのメインの場になっていたのだが、子犬は追い出して、裏側のミルティとマリのいる場所だけにする。といっても、子犬たちはサンルームの床下を抜けて、猫たちの庭には出られるので結構遊び場はある。

今日は、ナナを救い出そうとしている時に、ナナに右手を噛まれ、私の手は重症である。グローブをはめたように膨れ上がってかなり痛い。
まったく気分は滅入るし、眠りの足りない身体は、(しんどいしんどい)とわけいているし・・・・・毎度だけど、こんな日に限って夫は排便の失敗をやってくれて、腫れ上がった手をかばう間もない。

なんだ? こんなグチをたらたら書くつもりでなかったはずだぞ・・・そうそう、現在の日中関係だ。

なんというか・・・身びいきをする気になれないの一言に尽きます。
確かに、自分の国のことで、ほかの国の顔色をうかがうことはない、という論は基本的に正しいのだろうが、日中の今回の問題は、こうした基本的な論にあてはまらないのではないかと思えてならない。

また首相のあのしれぇっとした言い方と態度と表情! 私もドタキャンしたくなるなぁ。(もっとも約束してくれないでしょうが・・・(*_*:)

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2005年05月21日
福岡四人殺害事件に死刑判決
幼い子供ともども四人が残虐な殺害をされた福岡の事件の犯人の一人に、主犯ではないが死刑の判決が下った。

この被告は、「自分が死刑になることで遺族の慰めになるのなら・・・」ということを言っていたという報道がある。
私はこれを聞いた時、(遺族にとっては、この言葉は神経を逆なでされるだろうな・・・)とひどく気の重い辛い気分になった。
そして、(このような気持ちになる人間性を持つ被告が、なぜあのようなむごいことが出来たのだろう。日本での生活が彼をそのように追い詰める何かがあったのだろうか・・・)と、ますます気分が塞いだ。

私は死刑制度に反対である。そういう集会に出て、死刑囚の思いなどを弁護士氏の報告を通して聞いたこともある。
そして、そうした死刑囚に、(なぜ、この人が・・・・・!)と茫然とする思いを抱くことが多かった。

社会が悪い、世間がおかしい、人が追い詰めた・・・とするのは間違っている。
だが、犯罪を犯した、その人が凶悪な奴だったんだ、弱かったんだ、だめなんだ・・・とだけ決め付けるのはもっと間違っている。

つい二三日前、長年の友人のEさんと電話で話していた時、動物たちの問題に話が流れて、私が、「もうぎりぎり頑張った。もし、動物が増え続ける重圧と孤独に疲れ果て私が首でもつったら、うちに捨てりゃいいんだ、と思っていたり、私をさんざん中傷した人たちは、”あの人はそんなに苦しんでいたのか、悪いことをしたなぁ”とせめてそうわかるかしら?」と言ったら、Eさんは怒声に近い言い方で言った。
「絶対、わからない。そういうことがわかる良心がわずかでもあるなら、そうまで追い詰めない。マオさん、今の世の中、自分の利益と満足しか考えてない人ばっかり、よ! そんな人らに負けないでよ、ね! 死なないで!」

「そ、そうよ、あ、当たり前よ、し、死ぬなんて思ってないわよ。わ、私こう見えても、しぶといんだから・・・。」
「こう見えても? どう見ても、あなた、しぶといわよ。」
「・・・・・・・・・・・・・?」

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2005年05月12日
イラク 日本人拉致
イラクで日本人が拉致されたというニュースが流れてから、意図して無関心でいようと思っていた。
それでもテレビやラジオをつけると、いやおうなしにその後の報道を耳にする。
拉致された斉藤さんという人は、フランスの外人部隊にいた人で、今回イラクにおられたのは、イギリスの民間警備会社の社員として軍の警備にあたっていたということだ。警備といっても、戦闘もする民間傭兵であるという。
ラジオで、こうした民間傭兵は、高額の給与であると言っていた。
この段階まで私は、戦争をしないはずの日本人でいながら、外国の部隊にいたり、傭兵として戦地に行かれるというのは、自分の国に対する何かがあって、徹底した虚無におちている人で、自分の生命の危機などどうでもいいとすら感じている人なのだろうか、と思った。
それならそれで他者が、お金のためだと決め付けたような言い方をして貶めることはないではないか、せめて黙っていようと、私はそう自分に決め日記といえど何も書くまい、と思っていた。

昨日、斉藤さんの姿が映っているビデオが流れた。
自分が思っていた虚無と程遠い、人懐っこい表情をされていて、妙に悲しくてたまらなくなった。

TBSラジオで、外人部隊にいるという人が取材に答えていたが、その人は、「自分たちは給料は安い。もし高額であったとしても、金のために命をかけようとは絶対思わない。自分が必要とされている、その実感のためなら命をかけられる。今自分が部隊にいるのは、そこの土地の自分を信頼してくれる子供や人々のために頑張っている。」というようなことを言っていた。

日本に、それがないということなんだな、と思い、尚悲しくてならなくなった。
この時、ラジオで答えていた人の気持ちがわかる気がした。

そのせいか、今日は一日、恐れに近い不安感を払拭できないでいた。寂しさの極地のような・・・。
斉藤さんが、生還されることを心から祈った。

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2005年05月05日
福知山線電車事故にまつわる
この事故のことで気分が重い数日であった。

昔、スペインの海辺に短期間だが家を借りて滞在していた時、電車に乗ってあちこちに行った。
いずれの電車も遅れるのが常識、という状態であった。
その時私はいらいらして、遅れない自分の国の日本がえらい国で、遅れるスペインは劣っている国、のような感じを持ったりした。

あのときの自分の感覚を思い出すのだ。
今、どの人もどの人も、「遅れてもよかったのに・・・」と言っている。
(ほんとですか? これまで、遅れるのは許さなかった雰囲気のようなものを私たちは持っていませんでしたか?)

私たちの多くの体質、その企業、その企業の体質、そして国の体質・・・強い側、多数の側の都合にいいように作ってきた体質のひずみが、あちこちで噴出しているんですね。

私の家もそうです。私の君主体制のひずみがきています。マジで反省していますがもうおっつきません。

どこの分野も妙に悲しく思えてなりません。・・・今急に人間やめるわけにもいかず、明日は元気になります。

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(16:09)

2005年07月17日
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clip!今日のあれこれ
今日と言っても昨日のことだが、夫はこの日の朝食をきれいに早く食べてくれた。認知症が進むにつれて、食べることにひどく時間がかかる。そのわりにはあまり食べてくれない。特に野菜を残すので、毎日、真春さんに教えてもらったキャベツを中心にした野菜スープを作っている。新鮮な野菜のスープは甘みが出てなかなか美味しい。夫もこれは喜んでいただいてくれるので助かっているのだが、ただ延々と時間がかかるのだ。

この食事が遅いのは、集中力を失っているからだ。食べたくないのではない。ただ食べることに集中ができない。他のこともそうである。
それが昨日の朝は、野菜スープも含めて、健康な頃と同じように集中して食事が進み、思わず、「えらいえらい!」と頭をなぜてしまった。
不愉快がるかと思ったら、なにか嬉しそうな照れくさそうな表情を見せた。
・・・こういう時って、私としては堪えるんですね。むしろ不愉快がってくれたほうがほっとする。

何はともあれ、食事が進んだのでいい朝のスタートになったのだが、午後に汗をかいたので着替えをしましょうと、Tシャツや紙パンツを用意して、自分で着るようにうながして、私は別のことをしていた。そろそろ着替えができたかな、と部屋に行ってみると、紙パンツを上に着ようとして頭にかぶり手がはいらないから真っ赤な顔になって唸っている。

ヤレヤレ・・・そう何もかもうまくいかないようですね。でも、一食でもスムースに食べられて、やはりいい一日でした。




(02:16)

2005年07月12日
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clip!介護の未来
真面目に”介護の未来”私感を書いておきたいと思ったけど、眠くて眠くて眠くて、こうしてパソコンに向かっていてもこっくりこっくりの有様なので、後日ということにしよう。
一言だけ・・・介護を受ける側に未来はない感じがするなぁ。今のままの”システムなら、ね。


(23:37)

2005年07月11日
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clip!薬を飲んでない!
7月10日は、私の父親の三回忌の法要を千葉の継母のところで行うことになっていて、夫を施設に夜の8時まで預けて行った。本当は一緒に行きたかったのだが、夫の体力を考えて預けたのである。
11時ごろ、施設に行き、薬を昼食後と夕食後を別々の小袋に入れ、それを手にもち、「飲まして下さい。」とよくよくお願いして出かけた。

それがどちらもそのままであった。
何かショックであった。蒸し暑いとすぐにべっとりと汗をかくので着替えのシャツも入れていたのだが、なにもかも預けたままの状態であった。
このようなあら捜しのような視線でものを言うのはいやなのだが・・・。

夫が要介護の状態になり施設を利用するようになって数年経つが、介護の現場は決して上向きになってるという感じがしない。むしろ、たった数年で、どこどんどんと落ちていってる気がする。
人材の育成には、それにあたるために上に立つ者の”人材”が必要だと思うのだが、これがねぇ・・・どうなんだろ・・・。


(12:01)

2005年07月09日
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clip!薬がかわる
7日のMRI検査のあとから、薬が全部変わった。
今後は、医師の指示通りやっていこう。手術や入院をしなさい、と言われない限り。(笑)

少しでも夫の状態がよくなっていくことを願う私は、薬が変わって、すぐに効果があることをどこか心に期待している。

そんなことあるわけないでしょ! と思わせることが今朝起こっていた。
朝、起きて、私の布団の足元のあたりがぐっしょり濡れているのである。
夫が、自分のベッドから放尿したらしい。
こういう事態はこれまでもあって、そのつど私は築いて咄嗟に処置をしていたものなのに、昨夜は疲労のあまり気づかないほど寝込んでいたらしい。
それでもろに布団をぬらされてしまった。
この梅雨空、干すこともままならぬのに・・・。トホホホ・・・。



(08:47)

2005年07月06日
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clip!自宅にて
ここのところ夫はディサービスを休み自宅介護。病院に行くたびに疲れきってしまうので(私が)、翌日は休むのである。そうやってなんだかんだとここ一ヶ月ぐらいは休みの日が多い。
そんな日は、ベッドのそばにパソコンを移動させて作業。
なにごともマオペースでやっていこう。


(12:36)

2005年07月04日
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clip!嘔吐
日中から眠くてしんどくてならず、特に夫を就床させてからは洗い物をしながらウトウトする始末であった。それで11時半には私も横になった。
が、夫の咳き込むような、うめくような普段と違う声で目が覚めた。12時半であった。
「どうしたの? 苦しい?」と訊くと、夫は「別に」と答える。
苦しそうな声が聴こえたと思ったのは夢だったかな? と私は半ばほっとして急いで布団に戻った。
その直後である。「げおっーっ」と夫の吐く声。急いで照明をつけると、かなりの量の汚物が一気にあたりに散った。急いで顔を横にさせる。汚物は枕、布団に溜まるように出て、パジャマの半分をべっとりとぬらすほどの量である。

吐くのがおさまるのを待って、できるだけ頭を動かさないように汚れたパジャマと防水シーツを引き抜き着替えさせる。。
きれいなパジャマに着替えると、夫はすうすうと眠りそうであった。・・・これが怖い。脳血管に異常をきたしていて、意識を失う眠りなのか、真に気分がよくなって眠ろうとしているのか。
「病院、行ってみようか?」と声をかけると、「いや、行かない。」と答える。顔色もそう悪くないことを見て、別室から、この前MR撮影を受けた日赤病院に電話をかける。

看護士さんとしばらく話す。看護士さんも、あたふたと救急車を呼ぶのがいいとは限らないことをわかっておられて、「意識がないのか、眠っているのかを見極めるよう気をつけて、しばらく様子を見てみたら。」との意見である。


(02:13)

2005年07月03日
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clip!薬
夫はもともと薬ぎらいで、飲んだかと思うと床に捨ててあったり、手の中にずうっと握り締めて崩れていたりなど、これまで困っていたが、ここのところ、日赤でも町内の病院でも、「薬はちゃんと飲まなきゃだめだよ。」と先生に言われて納得したのか飲んでくれていた。

喜んでいたのもつかの間、昨日の夕食後、なんたらかんたら、なんだかんだと言って飲んでくれない。こうなった時の頑固といったらもおお手上げ。
「じゃ、私が飲んじゃっていい?」と飲むふりをしてみた。食事を食べない時、そう言うとあわてて食べるからだ。
ところが、薬とわかっていて、「いいよ。」とケロリとして言う。
「・・・・・・・・・ム!」


(06:45)

2005年06月26日
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clip!入浴
夫はお風呂が好きである。ディサービスに行くとお風呂に入れてもらえるのだが、夜休む前にもう一度入浴する。ぬるめのお湯加減のお風呂でゆったりとするのは夫にとって至福の時間であるようだ。
これまで、湯船に入ったり出たりすることは自分でやれていたので、夫が入浴中に就寝の準備が出来た。

ところが、ここ半月ほど前から、湯船で立ち上がれなくなった。立ち上がる動作がわからなくなったようだ。
「お風呂の中で、一度正座をしてごらんなさい。」と私はそばでサポートをする。
「正座ができたら、今度は膝を立ててみて。膝で立てたら、湯船のふちにつかまって立つとうまく立ち上げれると思うよ。」

すると、夫はすっと立ち上がることが出来てほっとした顔になる。
だがこの方法でうまくいったのはわずかの間で、どんなに言葉でサポートしても、正座をする、ということが数日でわからなくなり、湯船のふちに足の裏をつけて、お尻は底にべったりとつけ足を開き、その姿勢で立とうとするのだが、それではどんな健康な運動機能の発達している人でも、お湯の中で立ち上がるのは無理だろう。それでもうお湯からあがる時には、栓を開けてお湯をなくすることにした。お湯のない湯船の中で、正座から立つ方法を試みたのだ。うまくいった。

ところがこの方法もあっという間に効き目がなくなった。
今日は、まったく正座が思い出せないのだ。お湯のない湯船で困り果てるばかり。仕方なく私も湯船に入って後ろからわきの下に手を入れて何とか立たせようとしたり、正座そのものを教えようとしたが、本人にそれにあわせてやってみようという気がないから、どうにもならない。
私はたちまち、TシャツかたGパンまで、まるでお湯のある湯船に入ったように汗でびっしょりである。自分では立とうという何の意思も持たないお湯でやわらかくなった80キロの身体は、もおビルを持ち上げようとしているようなもんだ。
それでも悪戦苦闘の末、30分ほどで出ることができたが、もう口もきけないほどであった。え? 夫がですって? とーんでもない、口もきけないほどバテテしまったのは私です。夫の方はケロリとしたもんです。冬でなくてよかったと・・・なんて殊勝なこと思うか!

・・・ナンチャッテ、怒ることではないのですね。これが痴呆というものなのです。脳が壊れていくということはこういうことなのです。
たびたび書きますが、心は壊れておりません。(だから何だ?)

なにはともあれ無事に就寝してくれて、オイワイにある人からいただいていつあけようかと楽しみにしていたワインをあけました。

なんか・・・味気ねぇ・・・。


(22:38)
中村和恵のPJメモ日記
パブリック・ジャーナリスト中村和恵の日記です。(2007年6月14日から)
Profile

中村和恵
脳梗塞脳出血が続き認知症となった夫の自宅介護と、家の玄関先や隣接の森に捨ていかれる猫や犬の世話を生活の中心にしつつ、童話、児童文学を書いてきた。
2007年6月、PJ活動を始める。<< June,2007 >>
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新しいブログ二つ

エラソーにブログをやめた宣言をしましたが、またすぐに別のブログをはじめました。
別のブログ、といっても、このブログの親戚URLで、タイトルも、『新・MAOlog 風立つままに』で、内容も相変わらずのものです。
そんな次第ですが、よかったらのぞいてみて下さい。
http://d.hatena.ne.jp/noras/(新・MAOlog 風立つままに)


もう一つは動物の専用ブログです。
http://d.hatena.ne.jp/maoz/(崖下の童話作家Mの動物日記)


このブログは、記事を公開しておきたいですので、しばらくこのままにしておきますが、新たなコメントは書けない設定にてあります。もし、このブログでの記事にコメントを書かれます場合、お手数ですが、『新』の方にお願いします。すみません。

みけさんとくりたさんへの返信と 新しいブログのこと 皆さまへどう

記事もコメントも終わりました、と書きながらまた書いています。(苦笑)(これがほんとにここの最後)


みけさん
動物達のこと、坂東さんの仔猫放り投げエッセイ事件以後、真剣なコメントを下さってほんとに心強かったです。ありがとうございました。
またずうっと、アイやサバを気遣って下さり嬉しかったです。
サバはもう大丈夫ですが、アイちゃんは長くはないかもしれません。昨日の診察で、先生が、「ほんとは最初診た時、三日もたないと思った、ここまできたのは驚異ですよ。ほんとによくやりましたね。」と言われたほどの重症が続いています。でも望みをつないで頑張って介護しますね。具合が悪くなって、自分の居場所を失い、知らない家に連れてこられたアイが可哀想で辛くてなりません。何とか、もう一度元気にしてやりたい。


くりたさん
はじめまして。このようなコメントをいただくと、「世の中捨てたもんじゃないなぁ」と本当に嬉しくなって自分を取り戻せます。あの犬達のことを思ったら、アークエンジャエルさんに何か不備があったとしても、そんなことに目がいくわけないですよね。それを、あら探しのようなことをしてわぁわぁ言い立てる人たちは、ほんとは犬のことなどどうでもいいんじゃないか、とすら感じ、それが寂しかったです。
ほんとに、コメントありがとうございます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ではでは、皆さま、佳いお年を!!!

コメントのお礼、猫のアイとサバの報告、ハルさんへ

猫のアイとサバを心配して下さるメールを何人かの方からいただいていますので、二匹の最近の様子をお知らせしておきたくなりました。その前に、いただきましたコメントのお礼を!


+miyataさんへ 
miyataさんには本当に感謝をしています。miyataさんのコメントから、いつも気持を随分らくにしていただきました。不思議な感覚でした。


+祐子さん
とてもとても颯爽とはいきませんが、ゴーイングマイウェイで参ります。祐子さんも!


猪名川公園さん
はじめまして! はじめていただいたコメントですのに、温かな知的で爽やかなお声になって届きました。ありがとうございました。お元気で!


+みこさん
クリスマスの季節がくるとみこさんの挿絵を思い出します。ほんとに素敵な思い出になりました。感謝とともにご活躍を祈っています。


+チー坊さん
はじめまして! 私こそ、私にとって、チー坊さんは特に動物問題に関して出会いたかった方に違いない、と感じています。このブログの最後に出会えてよかった! と天に感謝したいくらいです。来て下さってありがとう!


ideさん ご活躍を祈っていますね!


+みけさん
いつも熱血の書き込み、リポートを入れて下さって、とても心強かったです。ありがとうございました。アイちゃんとサバの様子を見てやって下さいね。


+minntomamaさん
いつもいつも優しいコメントをありがとうございました。minntomamaさんは、自分のことより人のことを心配される方だから、お身体のことが心配です。自分のことも労わって下さいね。


+いつかどこかで!! さん
私の不備だらけのブログを、このように言っていただいて感涙です。こうして救われてきたんだなぁと、読んでいただききましたことをあらためて感謝しています。どうかお元気で!


+通りすがりの匿名係さん
相棒の情報をありがとうございます。そうすると、20日(今日)は放送がないんですね? よかったぁ! お正月SPを楽しみにしています。いつまでも続くといいですね。
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■みけさんと、サバとアイのその後を気遣って下さる方へ
アイちゃんは、あまりいいとはいえないのですが、それでも食事は毎日とれるようになりました。そして、ずうっと蹲っていま箱から出て、アイちゃん用に敷いた毛布の上で、毛づくろいをすることもあるんですよ。少しづつ快方にむかってるのではないかと思っています。見た目はこの通りひどいですが・・・。病院の先生は、「随分よくなりましたよ。」と言って下さっています。部屋を歩くようにもなりました。


サバはこの通り、とても大きくなり元気いっぱいです。

サバは猫の親に育てられていないので、他の猫と一緒にしていなです。この写真は、網で仕切った向こうの居間で、サバを気にしている黒白猫のバンタと、今年の6月に森に捨てられていたトモが網ごしにちょっかいを出してきて、サバも結構負けずに応戦しているところ。可愛いでしょ♪

バンタ、トモとサバの網越しの合戦を、サバ側の部屋の棚の上から見ているシロ。この子は、一ヶ月ほど前に森で寂しそうにしていた猫。明らかに捨てられたと思えるのでうちに入れた。不妊手術に病院に連れて行ったら、先生が、「そろそろ赤ちゃんの心配が出てくる頃だから捨てられたのでは?」と言われた。「そういう人が多くてねぇ・・・。」とも。
それにしても我が家の汚さはひどいでしょ。この家は新築で入って15年、猫が二十匹を超えているので、もうどうしようもない状態に・・・トホホ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
■最後に、ハルさんへ
迷ったのですが、やはりハルさんへ書いておきます。
私は、ハルさんがここに来られて、猫のアイちゃんをうちの猫にした記事を読まれ、いきなり、「窃盗ですよ。」と高飛車に書かれたことがとても不快に感じました。
私は、アイが写真のような状態になると、家の中に入れようとされていないらしい飼い主に、不信感を覚え、アイが可哀想でなりませんでしたから、ここに書いたアイの記事には、飼い主を不信する感情がこもっていましたが、窃盗と言われるような成り行きではないことは読めばわかるはずでしたので、ハルさんに対してカチンを来たのです。
そこであのようなやりとりになったわけですが、最後にハルさんが、『先にけんかを売ったのはあなたでしょう。そうでなければ、こんなところにわざわざきません』と書かれていたことが、後になって気になりました。
まるで、私が、先に、ハルさんのところに何か失礼なことを書いてきたような書き方だったからです。
この時点では、私は、さっぱりわけがわかりませんでした。誰かのブログに行って、けんかを売ったようなコメントを書いた覚えがなかったからでした。
それでひどく、気持が悪くてなりませんでした。
また、コメントの中で、ハルさんが、『童話を書いている人とは思えないきつい言い方・・・』と書かれていることにも嫌悪を覚えました。童話は、この世の欺瞞や偽善を拒否する精神が書かせるもので、そういう意味では、非常にラディカルな魂を持っていなくては書けないものだと感じていますし、ハルさんが、口先の優しげなものを童話、と思っていらっしゃるように感じ、それに嫌悪感がわいたのです。

でも、数日たって、ふとわかりました。
私は数日前、広島ドッグパークの事件に関わる募金のことで、アークエンジェルをまるで詐欺をしたように書かれている二つのブログに反論を書いたのですが、もしかしたらハルさんは、そのどちらかのブログの方だったのではありませんか?
それでしたら、『先にけんかを売ったのはあなただ』と言われたことが納得できます。


私はけんかを売ったつもりはなく、あれだけの大変な救出をした人を、不備を許さず、よってたかって悪者にしてしまうことに、自分の考えを言いたかっただけでしたが、強い感情をこめて書いていますから、書かれた方は、威圧的にとれたかもしれないな、と思います。
そういう意味で、失礼したことをお詫びします。
ただ、頑固で申し訳ないですが、書いた内容については詫びません。
それから、ハルさんは、私が書いたことに反発されてここに来られたのなら、なぜ、そのように書かれなかったのですか? 私はアイの記事の前後に、広島の件を記事にしているのですから、そこに、「この意見に反対だ。アークエンジェルは間違っている。」と。
私の反論が来ることを想定して、それを避けたかったのかも知れませんね。それはそれでいいのですが、関係のない記事のところで、いきなり窃盗呼ばわりというのは情けないなぁ。


でも、終わったことです。これもひとつの縁ということでしょう。
お元気でお暮らし下さい。
私は、あの広島の事件はこれからも拘っていきたいので、別の書く場で書いていきます。

心から感謝しています!

これまで、このブログを読んで下さってありがとうございました。
今日をもって、閉鎖することに致しました。
私はホームページで日記を書くようになって以後、自分が自分の思いを世事的な封印をせず、書き綴ることが、生きていく上で必要であり、重要であると感じてきました。その感じるものに従って率直に書いてきました。


最近、もうこうした作業は、終わりにしていいのではないか、とふと思うことがありました。
それは、こうした形で書く場を持たなくても、充分立って生きて行けるようになっていることの自覚のような気がするのです。
そして、別の形で表す時機が来ていることを感受していることのような気もします。
そうであるのに、いつまでもここにいつづけていたのは、楽しかったからです。
決して楽しいことばかりを書いてきたわけではないのですが、怒りであれ悲しみであれ、誰にも抑制させず、自分の責任で、書くべきことと感じることを書くのは、なかなか痛快な心地のするものでした。
それも、読んで下さった皆さんがいて下さったおかげです。そのことを、いつも感謝しておりました。
本当にありがとうございました。


これを持ちまして、「MAOlog 風立つままに」は終了致します。
12月末まで、開いておりますが、記事もコメントも書くことはありません。
いつでもどこでも自分勝手な人間ですみません。
ではでは、心からの感謝をこめて、皆さま、ごきげんよう