中国麗江

一度早朝に目覚めたが、夫は珍しくよく眠っているようだし、この機に睡眠をとっておきたいと思いまた眠りに入った。
そこで夢を見た。昨年、継母の娘に会いに行った中国の麗江の風景である。私は麗江の町の中を、日本に帰る時間に迫られて焦っているのである。みんなが(このみんなと言うのは、昨年一緒に行った継母と付き添いの田中さんとKさんとKさんをさしているはずなのだが、夢の中では継母以外は見知らぬ人になっていて、継母も姿はないのであった。)間に合うように汽車の駅に急ごうとしていた。(実際は汽車が走っていたわけではないので、汽車の駅に急ごうとしているのはおかしいのだが。)
ところが私はトイレに行きたくなり、みんなが先に駅に行けるように手配をした後トイレを探すのである。日本人のお宅を見つけて、そこのトイレを借りることにしたのだが、なかなかトイレがわからない。洗面所で、作家のI・K子さんに会った。彼女はソバージュの髪を整えて、ピアスをつけようとしていた。ふわりとした赤系のスカートに白のセーターを着て少女のようであった。私は彼女に笑いかけながらなおトイレを探していた。この時、心で継母のことをとても気遣っていた。・・・こんな夢であった。
トイレの夢は実際に尿意をもようしている時に見るというが、そういうことではなかった。多分、昨年中国に行った時、麗江ではトイレに困難があったので、その時は結構順応していたつもりだったのに、やはり大変だったという気持ちがあって今頃夢に見たのかも知れない。
そして、継母に対して、中国に行った時に、『この人はこんなものであったか。父や私はいったい何だったのか・・・。』という哀感を持ち、以後は継母に少し距離をおいておきたいと思ったのだったが、私自身はやはり親として心配する思いから断ち切れていないことを表しているのだと思った。
断片的に、麗江の草原をその土地の沢山の子供たちと歩いている場面もあった。あれは何を表しているのかな。美しい重厚な風景だった感覚がある。