カテゴリーそのままに独白

私には兄弟も姉妹もいない。どんなことでも受け止めてくれる親もいない。なにしろ実母は生後まもなく病死してしまったし、(余談だが、昔、祖母はよく言っていた。戦争がなければあの子が死ぬことはなかった。戦争にとられて、町から医者がいなくなっていたからろくな治療も受けさせてやれなくて死なせてしもうた。)父はいないでくれた方がよかったような鬼父だったし、昔から心おきなく誰かに何かを聴いてもらうということがなかった。
とはいえ、若いうちは友人に何かとぶつけることもあったし、なんたって自分の仕事も興味を持つことも多々あったから、自分の孤独感に危機を覚えることはあまりなかった気がする。
だが最近、身体の疲労が強いせいか、何気なくグチをこぼしたりする対象がいないことがひどく堪えてならない。自分のそうした寂しさが口元までぎりぎりにあがってきている感じがあって、何もない時でも息苦しさを覚えてしまうほどだ。
こうやってつまらないことを毎日ブログに書き連ねている行為というのは、やっぱり補償行動ですね。もし姉妹がいたらこんな感じでダラダラとグチをこぼしたり、笑い合っておしゃべりしたりするのかな、とそんな期待を無意識にもって書いている気がする。こんなもの書く間があったら眠った方が自分にはいいと思うのだけど、そうすると、何か大きな忘れ物をしたようで落ち着かないのだ。完全に依存症だね。
このままではヤバイヤバイと自分でわかるから、すごく努力する。自分を叱咤する。ほんとはそれは自分を追い詰めることだとわかっているのにね。むしろ追い詰めようとしているのかもしれない。最後の日を早く迎えたいと。
でも、くじけるつもりはないしくじけるわけはない。古めかしい言い方かもしれないが、私には『恩返しをしたい友人』が何人かいるのだ。その中の一人の三十数年来のH子さんが、つい先ごろ、苦渋の私にこう言ってくれた。
「それなりの栄光や富や力を得ようと思えば得られたものをあなたは持っていた。でも一度もそれを得る方の道を行こうとしたことがない。私はずうっとそういうあなたを見てきたのよ。今あなたが助けてということがあったら、何をおいても助けたい。」
H子さん、思い出すたびに泣いてしまうよ。生きていける。でもちょっと恥ずかしい。こんなにかいかぶられちまって。これ以上無能なものはいないというぐらい無能なんだよ、私は。
瞑想を学ぼうとはじめたのは、こうした私にとって自然の道筋のような気がする。生きれる、きっと、ね。