動物行政と一部の愛護団体への不審と不信 私個人の感受

私は、広島市、県の罪は業者とさして変わらない、と言い切ります。
なぜなら、広島ドッグパークが開園許可の申請を出した時、本気で、その業者が犬たちを商売にする者として適正な資格や知識や人間性を持っているか調査をすればわかることだったと思います。
また一般の人たちから、「犬たちが痩せている。」などの通報があった時点で、本気で調べればこのような悲惨にまでは至らなかったはずです。
他県も同じことが起これば同じであろうと言い切ります。本当に残念です。あまりに哀れで酷い。こうなる前にストップさせる人がいなかったことが。動物行政は、それなりの権力を持っている。登録をしない者や、ホームレスの人が愛している犬を奪い、処分場に送るなどの実施もしている。そういう場合は、むしろ助けてあげるべきことの方であるでしょうに・・・・・。
そして、悪徳業者にこそ権力を行使すべきなのにしない。腰抜けなんですよね。そのことに強い怒りを覚えてならないですよ。情けない! しっかりしなさい!!! 


私は、動物行政に使われた税金の殆どは、”殺す”こととそのための”施設”作りに使われてきたと思えてなりません。この”基本”をなあなあにして、愛護団体は、行政とつるむべきではない、とも言い切ります。
日本の愛護の体制が、ここまで遅れているのは、活動の仕方を知っていて、活動は大きくしてきて、自分たちは動物関係の指導者、代表におさまっている団体が、いい加減なところで行政とつるんでいることも一因だと感じています。
そうした団体は、「つるんでるなどとんでもない、理解しあって、社会に動物との共生の精神の大切さや、ペットが家族であること、捨ててはいけない、虐待はいけないことを伝えるために助け合うのだ」と言われるでしょうね。
そういう団体も勿論多いと思います。
でも、真に捨てられている猫や犬たちの心、生命を実感し、救おう、守ろうとしてきた人たちを、それをするために暮らしが困窮し、環境を支えられなくなり、神経も参っていって苦しんでいる人を、どれだけその不備の部分をつっつき、悪く印象付け、あげく事実にない汚名まで着せて排他した人がいるかを私は知っています。
私は、自分がリーダーの位置でいたいために、ほんとは救うべき人を貶めた人たちが、行政と繋がってきた、現在の日本の愛護状況を悲しみます。広島ドッグバークは、まさに日本の動物行政と欺瞞に満ちた愛護団体が生み出した、あるいは見て見ぬ振りをして現われたおぞましい現象とすら感じています。


これは、私が、自分の立つ位置にいて、”全身全霊が感じる”ことで、誰かに何かを聞いた、などということで言うのではありません。この私の特性は、どこでもいつでも変わりません。
広島ドッグバークのこの痛ましく悲しくてならない事件を機に、一部の愛護団体の人たちにも、その体制作りや姿勢に関して自らに問うて欲しいと切に思います。
行政の方々は勿論です。
どうか、アウシュビッツから助け出された人たちのことすら思い起こされた犬たちの姿を忘れないで、あの子らの痛みと死を無駄にしないで下さい。どうか力のある方々、お願いします。マオアキラ/佐々木和恵