選挙戦線を行くホリエモン氏に寄せる私感

ホリエモン氏がニッポン放送・フジと対立していた頃、テレビのコメンテーターの多くもそうだったが、ネットの中でも、彼がフジを乗っ取ろうとしている、という声に溢れていた。私は全くそう感じなかった。ホリエモン氏は、「放送界に参加したい。自分の力を使ってみてよ。結構役に立つと思うよ。」と終始そう言っているように理解していた。
テレビに出ている人たちの中には、放送に関するビジョンがないとも言っていたが、これに関して、私は、ホリエモンという人は、ビジョンが先にあるのではなくて、挑んでいく中に、「これだ!」というものをつかみ、それに沿って力を発揮する人なのではないか、と感じていた。

さて、このたびの立候補なんだけど、最初このニュースを聞いた時、私はゲゲッとなってしまい、即、利用していたライブドアブログをさっさとやめてしまったほどだった。
この時の”ゲゲッ”は、自民党刺客作戦の駒のひとつになってしまってなに?! というものだったのだが、徐々に、この立候補における中のホリエモン氏の自我のようなものが見えてきた感がする。
・・・犬たちと散歩に行く時間が来てしまった。それが終わったらもう夕方近くなるので、一日で一番忙しい時間となる。仕方がないからこれははしょって書いてしまおう。
つまりホリエモン氏の自我は、やっぱり中に入ってそこで発してくるものなのだろうということで、簡単に言えば、ここでもやってみなくてはわからない、ということなのだろう。
私のようなおちこぼれの視点から見ると、現在彼は郵政法案の実施のことしかないようだし、日本の未来をセレブ化図の中にしか入れてないようにしか見えず、私がもし広島県にいたとしてもとても一票を投じようという気持ちにはなれないが、あの自由人体質が政治の世界で発するものは、面白いかもしれないとは思う。これまでの政治家が持っている”弱さ”は彼にはないし。
そう、何か、”目覚めていく可能性を持つ人間の質”を感じるのですね。政治の世界に入って何にどう目覚めていかれて、どう働かれるのか、そんな面白さです。私の幻想かもしれないけれども・・・。

追加:これまでの政治家が持ってる”弱さ”が彼にない、というのはちょっと違う。修正すると、この”弱さ”は、財力で克服されているということです。権力がものを言う世界で自由でいられるのは財の力が大きいでしょう。天の下では”愛”だけで充分ですけどね。(ナアンチャッテ。どちらもない私は不自由に生きてます。笑)