猫噛み事件 私個人の結論

さいたまの老人ホームでの、猫の指噛み千切り事件について、これまでの情報と私の経験をもとに、私なりの結論を書いておこうと思います。
この件での、このブログに書いている私の記事を読んでいただけばわかりますが、事件を知った当初、私は飼い猫のノラに手を噛まれたことのある経験から、猫の力の強さと、『中庭から出られない状況になり、餌をもらっていなければ、私が猫だったら、何でも餌に見えて齧ってしまうかもしれない』と書いています。その時までの報道の内容を見て、状況によったら猫は想像を超えることをする力があるのか、と思うものがあったからです。
ですが、その後、五本の指を噛み千切るというのは、どうしても不自然に感じ、また報道の曖昧さが随所に見え、施設はどんな介護をしているのか? という不信も生じますから、『真実は別にあるのではないか』と感じはじめました。正直に申しますが、私は人間の所業ではないかと疑いを持っていたのです。
そうした経緯の中で、自分の考えをまとめものや、トラックバックや瀬川さんからいただいた公正な視線と姿勢による報告を、ここに掲載してきました。そして、10月15日の瀬川さんの”抗議編2”をいただいた段階で、私なりに、全容がわかったと思いました。
私としては、事件の全容は、それらを読まれた方が、それぞれ判断されることだ、と思い、わざわざ自分が総括することはないとし、この件はこのままにしておこうと思っていました。
が、昨日の朝日新聞に、事件のことが再び記事になっていました。(ついさっき知りました。日によって新聞も読む余裕もない生活をしていますので・・・)それによると、『指を千切られた方の状態から見て、動物によるものとして猫を捕獲したが、全国から抗議が殺到したので、猫の殺処分はしないことになった』というものでした。つまり、”猫がやったのは間違いない、と思わせつつ、抗議がきたので、殺処分はしない”という前と変わらぬ曖昧さです。
そこで、こうした曖昧さが歯がゆいと思う私は、この事件をブログに書いてきた責任もあるし、やっぱり、自分なりに全容がわかったと思うその『結論』と『問題点』を書いておくべきだ、と思った次第です。前置きが長くなってしまいすみません。

  • 指を噛み千切ったものは誰か、という結論

中庭にいた猫だと思います。
だが、本当の犯人は施設の介護意識の欠落にあります。このブログで前から書いていますが、二週間も出られない状態で、餌をもらえなければ、猫に限らず、何ものでも餌を求めて思わぬ事態を引き起こします。生き物は、自分の特性や習性の全てを武器として生きるのは当然のことですからね。(このことは瀬川さんの報告にも明記されています。)猫を出そうと思えば、施設の出入り口を開け放して追えば、簡単に解決できます。そうした努力もなく、飢えた猫を置いたまま、人目のつかない密室状態に言葉も出せない高齢者の方を寝かせておいた施設のありかたは、本当に残念でたまりません。報道によると、寝たきりの方が怪我をされているのがわかった時刻は朝の五時十分ということですから、それが真実とすると、窓には施錠もなく、開いていたということで、そのことだけを見ても、あまりにずさんな介護意識であったと見えます。
猫は勿論、生き物の多くは、意味なく人間に凶暴になることはありません。どうか、こうした事件があったからと言って、猫をむやみに怖れたり、排除をしようとしないで下さい。心からこのことを願います。

  • これまでから浮かび上がる問題点

その1 上にも書きましたが、まず施設の姿勢です。
私も夫が脳梗塞の後遺症による認知症で、施設に通っていますが、敷地内に、入所施設があり、寝たきりの方々の様子が窓越しにみえます。そこでは、昼間は、寝たきりの方もそうでない方も、居間で、思い思いの形でくつろぎ、あるいは眠り、またテレビを観たりされています。そこで感じるのは、常に、職員の目が、全員の方に届くように、という配慮です。皆さんの安全と、心の充足のために、いつも見守っている、ということが大事だという現われです。ここの施設に、たまに夫の宿泊をお願いしていますが、施錠なども含め、安全には細かく配慮がされています。こうした心ある介護を心がけ、意識を持っておられるところでは、周りに生き物がいても、今回のような気の毒な事件は起こらなかったのではないでしょうか。

  1. その2 新聞の報道への疑問

報道では、施設の問題点にはっきりと触れていませんね。結局、抗議が多いから猫の処分をしなかったとしている曖昧さには落胆します。問題点を抜いての報道では、読む人が、問題の本質を思考をすることなく、表面のことに反応するだけで終わるでしょう。今回で言えば、『猫は怖い』『動物愛護の人間は、何でも殺すな殺すなと騒ぐだけ』ということで終わるでしょう。
これでは、真実の報道ではなく、また介護関係に対する警鐘にもなりません。介護の現場は、本当に深刻な状態であるのが現実ですよ。意識の高い施設ばかりではないのです。むしろ逆のことが多いでしょう。私は、この事件のあった施設を弾劾しろと言ってるのではありません。職員の一人一人の方々はおそらくいい方ばかりでしょう。その人たちを追い詰めることなど考えません。でも、意識は高めてもらいたい。もはやまた新たな人生が待っているというわけではない、認知症、高齢などの人々の、最後の人生を、どのように心満たして、安全に過ごさせてあげたらいいか・・・この基本の意識はとても大切です。
今回の事件の元に、施設のずさんさがあることを明確にするのは、介護の基本を考えるきっかけにもなったのではないでしょうか。まるで、”猫好きの人間の問題”のような報道になっているのは、腹立たしくさえ感じました。
最後になりましたが、事件の犯人を、人間ではないかと疑いを持っていたことをお詫びします。私もまたこうして、自分の体験内で感じることを優先させてそれをもとに物事をはかろうとします。そのことを反省しております。そこでなお、報道関係の方に求めたいのです。人間の多くがこうであるからこそ、報道の姿勢を、より公正でより深く、と。