毛皮

表層的なことで人の好き嫌いをあまり感じない方だと思うが、ひとつだけ、即『この人は嫌いだ。』と思うことがある。毛皮を身に着けている人だ。厳寒の国をのぞいて、自分の身を飾るために毛皮をまとっている人に人間としての知性を感じることはない。
毛皮は、動物が、生きたまま剥がれる。そのことは二十年よりもっと前から知っていた。知った当時、衝撃と恐怖と悲しみのままに、毛皮を作ること、着ることの反対の文章や言葉を多く連ねた。ひとつ連ねるたびに虚無の色を帯びてきて、その色はどんどん濃くなった。人間の強欲と強欲を満たすためなら、生命も心もその存在にとってかげがえのない生きることの食べたり遊んだり異性に出会ったりするその営みも、何痛むことなく奪う、それも凄絶な苦痛を与えて・・・この人間の姿を知れば知るほど虚無と引きこもりに向かっていったのだ。それらはいつしか、心の底深くに沈み、頑なにこびりついている。今でも時に自己嫌悪となって私を蝕む。この自己嫌悪は、他者を不信し嫌悪することの補償行動だから複雑な傷を自分につけていく。
秋が深まってきて、テレビ画面の中で、毛皮をまとい、何百万円であったと誇っている人の形をした何かが現れる。