瀬川さんの最終報告と私の『動物(ペット)愛護とは?』

さいたまの老人ホーム、猫の指噛み千切り事件について、ここで何度も、公正な姿勢の調査報告をして下さっていました、瀬川さんの最終報告がありましたので、掲載させていただきました。
また、私の『動物(ペット)愛護とは?』を、下に続けます。
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≪特養老人ホーム事件の、最終報告です。≫
2週間かかって、すべての新聞社(配信元6社)に、一通り訴え終わりました。
なかなか難しかったですが、その中で「共同通信」が、記事を書く約束をしてくれました。
警察の10/18最終結論を受け、多くの方は、割り切れない想いでいらっしゃると思います。私自身はこれを受け、現場の様々な事実から、以下のようにまとめました。
◆伝わらなかった真実 “それでも猫は襲わない!”◆
他に、今までの経緯、最終報告も併せ、HPに掲載しました。
◆埼玉老人ホーム、猫事件の真相。(10/12)
◆報道の問題点。(10/14)
◆最終報告と、伝わらなかった真実 “それでも猫は襲わない!”。(10/22)
http://www.aa.alpha-net.ne.jp/classis/neko/neko05b.htm
報道機関が社会に残した猫への大きな誤解は、容易に払拭できるものではありませんが、せめて、皆さんに正しい事実認識に基づいた”真実”をお伝えし、誤解を解く一助とさせて頂ければ幸いです。
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  • マオの最終総括『動物(ペット)愛護とは?』

瀬川さん、最後まで、真摯で公正な姿勢で調査をして下さいまして、それを、真相を知りたいと思っていた私や他の方々に伝えてくださり、本当にありがとうございました。警察、施設、メディアとの対応は、本当に大変なご心労があったと思います。また真意が通じないことのやりきれなさ、お疲れなど大きかったでしょう。本当にお疲れ様でした。
私は、瀬川さんのこの最終報告が、『それでも猫は襲わない!』とされていることに、瀬川さんの苦渋を感じ、思わず涙しました。
今回の事件で、被害にあわれた方への同情と気遣いを前提に、“猫でありませんように”と祈った方はたくさんいらっしゃったことでしょう。そして、さまざまな情報を整理し、“やはり猫であった”ことを知らされて、大きなショックを受けた方も多いと思います。それから、今回の事件で、“猫への偏見をなお強く持つ人が出てくるかもしれない”“猫への排他につながるかもしれない”などを憂慮されている方も多いでしょう。
私もその一人です。だからこそ、私は17日に、今回の現実を乗り越える意識を持って、私なりの結論と問題点をここに書き、それを総括としたのでしたが、そこから今度は、“動物(ペット)愛護とはどういうことだろう“と、自分に問うものが出てきたのです。それを書こう、書こうと思いつつ、なかなか簡潔に書けず、ぐずぐずしていました。ちょうどそんな時、瀬川さんからの、最終報告をいただき、このご報告を掲載することに便乗して、今回の指噛み事件を通して感じる、『動物(ペット)愛護とは?』を書くことにしました。
それは、猫といわず、全ての生き物は、“人間の私のため“にあるのではない、”その存在そのもののため“に在る、ということです。
今回の事件の猫もそうです。あの猫は、猫にとったら異常な事態に追いやられ、生きるために、自分の持ちえる力を懸命に出したに過ぎないのです。被害者の方の怪我があまりに悲惨ですから、“猫のはずがない、猫でありませんように”と思い、信じられない気持ちが大きく、知らされる情報から、“猫がやったのだなぁ・・・“とわかった時はショックでしたが、そうした人間の心情は、あの猫から見たら、『何がショックだ、冗談じゃない! ぼくは何もないところで、何ももらえずにほったらかしにされていたんだ、ぼくは出ていきたかったのに逃げる道もなかった、人間のためにいい子になっていたら、ぼくは飢え死にしてた! そうしろって言うのか?! そうでなきゃ、ぼくが好きでないってか?!』ということではないでしょうか?
真実は、ひるまず、おそれず、受け入れるしかないのです。そうでなくては、被害者の方に申し訳なく、またあの猫には失礼というものでしょう。
そうです。猫も他の生き物も、人間の都合や心地よさのために在るものなどなにもないのです。時には、人間にとったらとんでもないことをやります。彼らは私たちの友であり、家族になってくれますが、決して、人間の私物ではないのですから。
本当の動物(ペット)愛護、愛するということは、それらを認めたところからあるのではないでしょうか。そして、思いもよらないことが起こっても、その存在の特性を認めて守り抜く、これが大事なのではないでしょうか。私の、今回のこの事件の総括は、以上の認識です。思えば、人間同士もそうです。例えば友達は、自分を慰め、力づけてくれる存在ですが、でも、ひとりひとりは、誰も入り込めない“何か”を持っているものです。それを心中に尊重しあっていてこそ、真の友達でしょう?
私はそういう意味で、今回の事件から、猫の底知れぬ存在感を思い知り、畏敬の念を加えました。それらを全部受け止め、より信じ、これからも付き合っていくつもりです。これでやっと、自立した猫(生き物)との付き合いになるのではないかな、と感じつつ。
言葉足らずの総括ですみません。最後に、何よりも、被害にあわれた方のご回復を心から祈ります。また、介護施設の方々や皆様にお願いがあります。猫(生き物)の習性を理解して、不自然な飼い方や扱いをしなければ、今回のような事件は、絶対と言っていいくらい起こりません。どうか過度に怖れず、私たちの友、家族として受け入れていきましょう。
彼らこそ、実は、人間の悪しき所業を許してくれているのですよ♪