26日に想う

+悲しい知らせ
ノエルさんは、うちの猫が死んだ時、真心のこもった親身な慰めや励ましのメールを送って下さり、わたしはどれほど救われたかしれない。そのノエルさんの大切な家族、猫のノエルちゃんが病気で亡くなったという知らせ。突然のことで、私は驚きしばらく茫然としていた。が、次に、ノエルさんの心中を察して、涙が溢れてならなかった。
急いでノエルさんのブログに行ってみたら、(http://noel-noir.cocolog-nifty.com/noelnoir/2005/12/post_2e71.html)もう何日も前から、ノエルちゃんは苦しい状態であったことがわかり、尚のこと辛く思えてならなかった。



+検診に病院へ行く

夫の今年最後の検診につくばの病院まで出かける。予約制でいつも予約してあるのだが、たいてい二時間近く待たされるので、夫の飲み物や軽い食べ物を抱えて行く。ところが今日は病院について、受付をして後、十五分で終わったのでびっくり。ただ薬局で50分間待たされた。
先生は、私の顔をみて、「大丈夫ですか?」
私はマゴマゴと口ごもりつつ、「夫がですか? おかげさまで、その後現状維持というところです。」と答えると、「あなたですよ。疲れてそうですね。」と言われた。
「いえっ、ぜーんぜん、大丈夫です!」とVサインをしてみせた。・・・どうして私ってこう見栄をはるんだろう。「ハイ、ボロボロです。」と本当のこと言えばいいものを!



+懐に飛び込めない

医師が、医師としてこちらの状態を訊いてこられる時、弱音をはくのは悪いことではない。
教師と生徒、医師と患者などの関係において、教師や医師の懐に飛び込むのは、生徒や患者側の精神を成熟させる上で大事な形体なのだと思う。
私の不幸は、それができないことにあるだろう。依存をするように感じてしまい、真意と異なる距離を知らぬ間にとってしまうのだ。
結局どこでもひとりぽっちになるように自らをもっていく。
でも今更仕方がない。私はこうやって生きていくしかないのだ。孤児のように、野良のようであるが仕方ない。頑張るしかない。