3月・2月・1月

サイトの方に、今年から、月がかわると、『月のはじめに』というその時々の気持ちを書くようになった。3月の月のはじめにを今日やっと書いた。この機に、1月からのそれを転載しておこうと思う。

3月です。冬の寒さが残っている月。でも、春が地中で芽吹きを準備している”希望”の月。年をとるごとに、四季の移り変わりに敏感になります。自然の豊さに心を開いて、その恩恵を素直に受ける、そんな実感も覚えるようになりました。思えば、何かことがおこって、誤解や疎外感や悔しさや、あるいは自己喪失を感じると、そうした自分の傷は、この世が終るかのような大事なことと思いつめた時がありました。そんな時見上げた空や森の木々は、悲しみ、落胆、憤怒などの具現でしかなかった。いつの間にか、どんな時でも空は空であり、木々は木々であることを知るようになりました。私自身もまた、何がおこっても私でしかないのだ、とも。『自分で立って生きる』ということを本当に知るのは、時間がかかるものなのですね。でもそれは、長い冬の後の3月を迎えた幸いを知ることです。
                   2006年 3月 まおあきら(マオアキラ



2月になりました。一年のうち寒さが最も厳しい月。私が生まれた月です。
昨年の11月、夫の介護、猫たちや犬たちの世話、書き綴ること、そしてこのHP活動という私の生活の中枢に、”瞑想”というものが入ってきました。二十数年前、上野駅近くの書店に立ち寄った時、店の入り前に平積みになっている本に出会いました。ためらいなく手にしたその本”理性のゆらぎ(青山圭秀著)”は、社会性が未熟なゆえに生きることに自信のもてない私に、ひとつの方向性を与えてくれました。それは、真理というものや義というものを知るには、自分の心の奥に生じる”塵のような点”をおろそかにしてはいけない、全てはその点からはじまる、ということです。瞑想はまさに、その”今は塵のようにしか見えない点”を見つめる大いなる視座と感じています。 
                  2006年 2月 まおあきら(マオアキラ



明けましておめでとうございます。子供と生き物に優しい平和な年になりますように。
私は、私が拾って育てるだろうという想定の下に、他者から家に猫や犬を捨てていかれることと、それによる軋轢に、二十数年間苦しんできました。特にこの数年は、脳梗塞で要介護4の状態となった夫の介護もあり、疲れが積む故か、極度の人間不信と自信喪失に陥り、マオアキラとしての活動も含め、全てから遠のきたいという思いに苛まれるようになっていました。ホームページ活動は、そうした自分に活力を取り戻させたいための懸命な努力だった気がします。まだまだ本調子とは言えませんが、徐々に、夫と動物たちと元気で生き続けること、書き続けることを望むようになってきました。皆様今年もどうぞよろしくお願い致します。               2006年 新春 まおあきら(マオアキラ