お猿のルパンくん、あれから一年!

一年前の春、お猿のルパンのことを知って、ブログやサイトに何度も書いてきました。何らかの事情があってそうなってしまったのか、あるいは生命あるものを飼う、ともに暮らす、ということがどういうことか知らないまま飼われていたのか、ルパンくんは見るも無残な姿になり、生きているのが不思議とすら思われるほど衰弱して、wasaさんの手に抱き取られました。


このことを知った時、こんな酷い状態になるまでのルパンくんが耐えてきた痛みと心と時間を思うと、可哀想で可哀想で、辛くて辛くて押さえても押さえても泣けてきました。
そして、このルパンくんを引き受けられたwasaさんの愛の深さ、強さ、意識の高潔さ、そして助けるために全知全能をかけられた清明さ、行動に移された潔さ・・・この頃の私は、wasaさんの日記を見ては、感動でおいおい泣いてばかりいました。


今、あれから一年経って、新しい春を迎えたルパンくんの写真が掲載されています。明るい幸せそうなルパンの顔を見て、そしてwasaさんのいつもと変わらぬ淡々とした文を読んで、またおいおい泣いてしまいました。ルパンくんよかったね! wasaさん、本当に本当におめでとうございます。あなたに心から敬意を表します。お身体、気をつけて下さいね♪


wasaの一言』はこちらです♪
http://wasa.blog19.fc2.com/


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私のサイトに、ルパンくんとwasaさんを知ってそのことを書いた文を出しています。その文をここに持ってきました。
wasaさんの野生生物を飼われることのお気持ちの一端を、少しですがお伝えできると思うからです。


■ネットでアニマルバスのwasaさんと出会う


wasaさんの存在を知ったのは、『日本にアニマルポリスを誕生させよう!』というサイトを
通してでした。
『日本にアニマル・・・・・』は、kanakoさんという方が、日本の中で、あまりに虐待や無責任な飼い主に苦しめられている動物が多いことを嘆き、状況をよくするには、専門的知識を持った組織を作り、動物に関わる犯罪を取り締まる必要があるのではないか、ゆくゆくは、「動物愛護法」「アニマルポリス」「保護シェルター」が最適に機能していくようにすべきだ、と考えられ、動物愛護法の改正を国会議員に働きかけるなど、果敢な活動をされているサイトです。まさにkanakoさんは、”勇気の人”でしょう。


このkanakoさんとネットで交流をするようになって、kanakoさんの、”wasaさんが、お猿の
ルパンくんの里親になられました”という書き込みを目にしました。どうもルパンと名づけられたお猿が、何らかの受難にあってるようでした。それですぐに、リンクしてあったURLを開いたのです。


そこで私は、wasaさんの存在を知り、お猿のルパンくん(むごい姿に耐えられない方は開
かないでね)の苦難を知ったのです。
ルパンくんの姿は、痛々しいという言葉などではおさまらない凄絶な無残な様で私の目に
飛び込んできました。そこにはこのような説明がついていました。


2005/4/27から、
ルパンの保護日記になっています。
重度のクル病で全身が曲がり、
各所に骨折、床ずれ、かぶれ、餓死寸前、
耳は裂け、折れた骨が外に飛び出していました。
動く事も出来ません。
ボロボロの状態で里子に出された子です。
お猿仲間が預かって治療してくれました。
現在我が家で引継ぎ、治療を続けています。
必死で生きようと頑張るルパンの姿を見守ってください。


なぜこのような状態になってしまったのか・・・。されてしまったのか・・・。どんな事情があったというのだろうか・・・。
・・・・・・疑問とやりきれなさをぶつけるのはここで止めましょう。
私が、ルパンくんの運命を通して、最も強い思いを抱いたのは、人間の愛の姿に対して
なのですから。そう、wasaさんにです。


wasaさんの日記から、ルパンくんの介護の様子を垣間見るだけで、wasaさんの慈愛と熱意と思い遣りが、私たちの胸の内までなんともいえない温かさで満たしてきます。
そのことの感動は衝撃的ですらありますし、また荒野に降り注ぐ雨のようでもあります。


wasaさんは、『アニマルバス』http://animalbus.fc2web.com/というサイトを運営・管理し
ておられ、そのアニマルバスは、お猿を飼育している人同士の情報交換の場としてあり、一匹でも多くの猿が助かることを願って、猿の情報を提供し、参加者皆が飼育相談にも乗る、という活動をされています。
こうした活動の元には、いかに猿の飼育が難しいか、それゆえに、飼い主が悩んだり、猿が不適切な飼育をされ、場合によったら放棄されてしまう現実があるということのようです。
wasaさんは、そうした猿と飼い主を救うべく、アニマルバスを設立されたのです。


ルパンくんは、不幸な姿でwasaさんの前に現れました。ルパンくんの姿や状態は、安楽死を決定するしかない、という気持ちをおこさせるほどでありました。
だがwasaさんは、ルパンくんが、力ないながら、食べ物に手をのばそうとする、その動作の中に、<この子は生きたい! と願っている>と感じ取るのです。
私はwasaさんの日記の中にこの一行を見つけた時、胸がはりさけそうでした。
ルパンくんがいじらしくていじらしくて、そしてwasaさんの清冽な感性と愛情の深さに打た
れたのです。<マザーテレサのような・・・!>


こうしてルパンくんは、wasaさんの家で手厚い介護を受けることとなったのです。
私がここでwasaさんを、<日本のマザーテレサ>と思ったのは、彼女の優しさに対してだけではありません。
彼女は、アニマルバスの中で、ルパンくんの治療や介護のことは勿論、猿の飼育のこと、動物全般に対する考え、人々への呼びかけや注意事項、野生動物に対しての思いなどをまとめておられるのですが、それらを通して、wasaさんの愛情が、細心かつ豪胆な知性・理性に裏打ちされていることを知るからです。
そう、つまり、強さをそなえた愛の存在ということなのです。


マザーテレサは、恵まれない人に献身的に尽くしてきた人ですが、ただ優しさと祈りであの
行動があったわけではありません。
あの人の、病んで横たわっている人に注ぐまなざしは聖母そのものの慈しみにあふれていますが、カメラのレンズを通して、こちらを射抜いている鷲のように鋭く険しい目があるのを知っているでしょう? あれは、人を救うには、”現実”との闘いに挑まなくては何もでき
ないことを証している、と私は思うのです。
wasaさんもそれを顕しておられ、そのことに圧倒されました。


でも、自分に厳しいwasaさんはこう言われます。
自分もペットショップで猿を買った一人です。最初は、そのことを悪いと思わなかった。みんな猫や犬を買っているではないか。それと同じなだけでしょう? と思っていたのです。
こういう自分たちがいるから、猿を彼らの故郷、密林から捕らえて連れ出す、しかも母猿を
銃で撃ち、地に落ちた子供の猿を捕らえて売るという残忍な仕業をする人間がいるのだ、
と。また猿に食べさせるために他の生き物を殺すのだとも。


これを矛盾や罪とするなら、私なりにここに述べたいことはありますが長くなるので、ただ
「それが何です!」と言い返しましょう。(笑)
そう、こうした矛盾と罪と見えるものは、天に預けてしまいましょう。


お猿のルパンくんは、9日の日記には走ったことが書かれ、応援している人たちも喜ばれ
ていましたが、今日11日の日記には尿がでないとあります。
たった今の私の思いは、”ルパンくんと、wasaさんが、苦痛を受けず、幸せでありまように”と祈りたいことだけです。真実そうです。天もwasaさんをそのように思っているでしょう。


最後に、wasaさんからのメールと、文章の一部をここにおかせていただきます。
猿に限らず、”生き物を飼う”私たちの胸にしみる真実の言葉として。


ルパンの姿は、同じ猿飼いである私にも罪があると思います。
猿可愛い、欲しいと言って私のように買う人間がいたから、お店はどんどん仕入れ、こういう子が出てしまった。
野生動物は野生のまま、そっとしておいてあげるべきだったと思います。
目の前の子を助けたところで、私の犯した罪はそんな事じゃ消えないと思っています。
野生動物に手を出してはいけない。痛感します。
ルパンを見るたびに「ごめんね」という言葉がつい出てしまいます。
私の残りの人生、少しでも取り返せるように頑張りますね。

                                                                                                                                            • -

ペットのお猿は楽しそうに幸せそうに見えるかもしれない。
でもそれは、猿が本来の自分を押し殺し、必死で耐え、我慢して、それでも生きるために飼い主に甘えて、順応しようと頑張った結果だと思います。
そうやって自分の肉体と精神を誤魔化すしか、生きる道が無いからです。
完全に誤魔化す事が出来た子は、ある意味幸せなのかもしれません。
だから、猿が少しでも幸せだ、これでいいんだと錯覚できるように、私達は環境を整え、餌を考え、その手伝いをするのだと思います。
誰より大変なのは、飼い主ではなく、猿自身です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー