第二十四回 蝶の夢

サッカーの試合が気になって、心ここにあらず、という観劇になってしまった。
明智光秀坂東三津五郎)の最期の場面は、光秀と知らずただ金目の物欲しさの数人の農民に竹槍で刺されるという無残なものであったが、演出は夜陰の迫る竹やぶに白い蝶を飛ばせ、浪漫の哲学者、光秀らしい品位のある死とした。
看取ったのが山内一豊上川隆也)その人であったというのは、史実に無頓着な私でもそうなの?と思うが、薄れゆく意識の下で、自分を抱きしめてくれた者が一豊とわかって言った光秀の言葉、「そなたは生き延びよ、生きて、乱世の世を見届けられよ。」は、一豊にとって必要なものであった。
後々、一豊は主を替え、他国の侵略者となるのだろと思うが、その生き様に正当な理由づけが必要だ。この『乱世を見届ける』は、充分その伏線となるだろう。
何にしても、高邁な人間性を持つ光秀の死出の旅を、純粋な熱血漢の一豊が見送ったのは救いであった。
光秀が、白い蝶の幻影に、幸せだった時代の妻(烏丸せつこ)や娘(長谷川京子)の笑顔や、そして永遠の人であっただろう濃姫の微笑する姿を重ねた後、『胡蝶の夢か』と呟く最期は、真実の道を追求して果てた者への花一輪のように思った。(涙ぐんでしまった。)
家臣の吉兵衛(武田鉄矢)、祖父江新一郎(浜田学)は、光秀の首をとれば大きな手柄になるので、「おめでとうございます。」と喜ぶが、一豊は、「我らは光秀を取り逃がした。何も見なかった!」と言い、御印(首)はとらなかった。
後の場面で、一豊が、秀吉(柄本明)様が光秀を討ったと言うのだが、結局首はどうしたのだろうか? 中学生の時だったか高校生の時だったか、歴史好きの先生が、光秀の首は光秀の家臣が、秀吉に盗られないように隠していたが見つけられた、というように聞いた記憶があるのだが、今回『日本史日誌http://d.hatena.ne.jp/sanraku2/20060618/d1』さんもそのように書いておられる。このドラマでは光秀の首はどうなったか、気になってならなかった。この頃の戦において、敵将の首は大きな意味があったわけだから、曖昧にしない方がいいように思ったのだ。


千代(仲間由紀恵)と寧々(浅野ゆう子)は、隠れた場所から遠く安土城が燃える煙を見つめ、一抹の虚しさを覚える。この後、秀吉が勝ったと知り、長浜に戻っていく。
そして一豊は、信長亡き後の当主代行の秀吉から、三千石の加増と、長浜城の管理人を命じられる。管理人といえど城主と同じである。喜ぶ一豊、千代夫婦。


光秀の謀反と信長の死は、他にもさまざまな波紋を呼んでいる。
細川家では、細川幽斎近藤正臣)の嫡男忠興の妻玉(長谷川京子)の処遇をめぐって、幽斎と忠興が対立していた。幽斎は、「玉は光秀の娘だから、生かしておいては、我らも謀反に加担したと思われる。」と玉を殺そうとし、それを忠興は許さないのだ。結局玉は丹後の山奥に追いやられる。ナレーションは、『現世を捨てる道行』と言う。ここで気になったのは、玉を斬ろうとした幽斎の家来が、幽斎の考えとして「謀反人の血は根絶やしにしなければならない。」と言ったのだが、そうであれば、玉が産んだ子供、つまり忠興の子で、幽斎には孫になる子供二人も殺さねばならないことになるわけで、こうしたところの曖昧さも気になった。
信長の三男、信孝は、市(太市真央)に、「柴田勝家勝野洋)に嫁いで、自分が跡目相続ができる力を貸して欲しい。」と頼む。
そして、秀吉と寧々は、当主代行ではなく、実質的な権力者の位置を我が物にするべく、勝家に対抗して、本能寺の変で死んだ嫡男信雄の子、三歳の三法師をたてる画策をする。すなわち子供に好かれる千代に、三法師を手なずけさせるのだ。
秀吉を主役にした物語は、秀吉はあくまで信長の志をつごうとする義の人として描かれ、この三法師を世継ぎとするのも忠臣ゆえとしていることが多いが、ここでは我欲を老獪に狡猾な手段で満たしていく者となっており、柄本明がそれはもお圧倒的に上手い。


家臣たちにも秀吉の腹の内は見透かされている。
特に跡目相続争いの一部始終を、皮相な目で見ていたのは中村一氏(田村淳)で、堀尾吉晴生瀬勝久)と一豊に、面白おかしくひそひそと言うのだが、この場面は一話中、必ずあるオカシイところで、田村淳は妬み根性を鼻先にぶらさげて秀吉を冷笑する感じをよく出して説得力があり、なかなかの存在感である。それを制しながらも、目が田村の話に好奇心で生き生きとなる成瀬もそうである。一豊もまた、結構、「うん、うん、それで?」という感じで感応するのがおかしかった。


天正十年六月二十七日、清洲城の大広間で、正式に跡目を決める評定が行われる。跡目の後見人になれば絶大な権力が持てる。男たちにとって、これも戦と同じであった。
結局、三法師を千代に手なずけさせた秀吉の勝ちであった。「跡目相続は筋が大事。信長様のご嫡男信雄様の遺児、三法師様をたてるのが筋。」と言う秀吉に、丹波長秀(名高達郎)、細川幽斎はじめ重臣の殆どが同意したのである。
そこに、秀吉に狡猾に手なずけられた三法師が、「ちくぜん、ちくぜん。」と秀吉になつき、その三法師を高々と抱き上げ、上座に立った秀吉は、「三法師様でござる。」と実質上の後見人として家臣のみんなに己を位置づけて見せたのである。
こうして跡目相続でも秀吉は勝利するのだが、それを許さないのが市である。市は、秀吉に天下を盗らせないために、勝家に嫁ぐと言う。「私がそなたに嫁げば、そなたや信孝どのにつく大名の結束が固くなり、サルに対抗できる。」と。まさに戦乱の女性は武将と同じである。


さて、中村一氏堀尾吉晴、一豊が醸したおかしさに増しての面白どころは、ラスト。
清洲城に引越しするため、一豊の家中はてんやわんやであるが、一豊と千代は、嬉しくて誇らしくてたまらない。家臣たちに自信をもってあれこれ指図をしている。
と、そこに秀吉様のおなりである。
秀吉様は、千代を三法師のことで褒めた後、土間に土下指して一豊に言うのだ。
長浜城は、柴田勝家どのが入りたいと言われる。跡目相続でわしの言い分が決まったので、勝家には引け目がある。だから、勝家の望みはきかなくてはならない。長浜城は勝家に譲ってくれ。」
あまりのことに、目玉をらんらんと光らせたまま金縛りにあってしまった一豊を、千代も周りの者もみんなおっかなびっくりで遠巻きにして見つめている。(クックと思わず笑い転げました。一豊さん、ゴメンナサイ!)
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