ジダンの頭突き

ジダンがW杯イタリアとの決勝戦で、イタリアの選手に頭突きをくらわしたのは知っていたが、ここのことろゆっくりテレビや新聞を見る余裕がなく、原因が何だったのかわからないままでいた。
先ほどテレビで、ジダン選手が真相を明かした記者会見を放送しているのを観た。
イタリアの選手が、自分の家族を侮辱することを言ったということだった。(そうだったのか。それなら憤るのは当然だ。彼は何も恥じることはない。)と思った。
ジダンの行為に対してはそれで他の何もなかったが、コメンテーターや司会者の言葉にひっかかった。


ジダン選手の行為を真似する子供たちが出てきたのだという。サッカークラブなどで、すぐに他の子供に頭突きをする子がいて、指導者たちが困ってると言うのだ。
思わず失笑しましたね。いかに日本の大人が、『自分の誇りや怒りというものをわかっていないか、あるいはそういうものを持っていないかの表れだ』と思ったからだ。

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<夜になって追加>
ジダン選手は、自分の行為を、「最も大事なのは自分の行為だ。サッカーを観ていた世界中の子供に謝りたい。だが自分のしたことを後悔していない。後悔したら相手を認めることになる。」と言っていた。この言葉を、私は礼節を持って理解し尊敬をすることを前提に、『子供が真似して困る』とする人たちに言いたい。
「あなたが人生をかけて、ジダンがなぜそうしたかということと、ジダンの謝罪を伝え、軽々しく真似などすることこそ恥ずかしいことだ、と伝えればそれでいいことでしょう。」と。
自分のするべきことをせず、他者のせいにし、他者が自分のしたことの責任を人生をかけてとろうとしてることに目を向けず、行為だけで断罪することこそ社会を堕落させるのだと私は思う。そういう大人が多すぎる。
もっとも私などがこんなことを言ったりするのはおこがましい。ジダンは今後どんな事態になろうと、自身を正当化などせず受け入れるだろう。行為そのもの、について言えば、ジダンが最もよくない行為であったことを知っているのだ。


コメンテーターや司会者の言葉に失笑したというのは、もうひとつ、この行為をジダンがやったから、はっきりと、行為を悪ときめつけないところがあることにだ。
これがただの人がやったとしたら、そこにどんな酷い侮辱なりを受けたからであったとしても、人の殆どは、そこに目を向けず、頭突き、という行為だけをとらえて悪者と決めてしまうだろうと言うことだ。世の常と、渡世の虚しさを見せ付けられた出来事だった。