ぼろぼろなれど金曜日

三日間、取材が続いた。私の仕事は、地域の活性化や、福祉、介護に関わる活動やボランティアをしている人たちとお会いしてお話を伺、それをまとめるのだけれど、この三日間、そうした方々とお会いしたのだ。
どの方も、重い現実を肩に抱え、自分のやらなくてはならないことをやっておられて、そこに、何ともいえない感銘や学びを受け、時間も立場も忘れてどんどん深く話し合ったりした。
昨日は、茨城県の生んだ陶芸の巨匠、板谷波山の生き方を敬愛されているブループとわかっていたので、約束の時間より一時間早くその町に入り、美術館で板谷波山の作品をゆっくり鑑賞して後、癌という病を持って尚ボランティア活動に打つ込んでおられる数人の方のお話を伺った。気がつくと、夫をディに迎えに行かなくてはならない時間になっていて、慌ててそこを飛び出した、という有様だった。


そうした三日間を経て、気持ちは充実感や感激でいっぱいなのに、あぁあ、やっぱり年だワ。今日は疲労で身体がぼろぼろ状態である。電話のコール音で目覚めたのだが、声が出ない! 電話の相手の方にすっかり心配をかけてしまった。
夕べ睡眠が充分とれていればこれほどの疲労感はなかったと思うのに、夜間に、犬のプチが多分猫が歩いたか何かしたのだろう、ギャンギャンギャンギャンそれは酷いのである。近所迷惑なのでそのたびに起きてなだめ、結局一晩中そうしていた感じなのである。(プチ、怒!)
今朝は近所中に謝るなど、気分もトホホで、折角の素晴らしい三日間だったというのにぼろぼろ! というわけだ。今日は三日間の膨大なメモを整理して、記事にまとめなくてはならないのだけど、体力大丈夫かぁ?
など言いながら、社会のちょっと気になったことをメモしておこうと思う。


ジダンに頭突きをくらったイタリアの選手のこと
この人も、W杯に選ばれたぐらいの人だ、自分の放った行為の意味はわかっているだろう。やがてジダンが痛んだよりもっと深い痛みを自ら覚える日も来るだろう。だから私などが何も言うつもりはない。
だけど、どうしてもいっこ、言いたい。
ジダンが引退をすることを告げている、その思い、想い、気持ちをくもうとしなかった、そのことを嘆く。


『気持ちや思いを汲む』人間のなんといない世の中か。『汲む』ことの出来る人は、差別も見下しもしない。


■畠山容疑者の新たな自供
テレビが、彩香ちゃんは、橋の欄干に立って、畠山容疑者と川を見ている時に、足がすべって落ちた、と報じていた。その時、彩香ちゃんはどんなに怖かっただろう、と思い泣けて仕方がない。
子供と動物(生き物)が不当な恐怖や苦痛や死を受けることのない世の中になりますように・・・。
大人同士が、互いの思いや気持ちを汲みあえる世の中になりますように。そうなれば、子供や動物たちが不当に不幸な目にあうことなどなくなるのだ。本当にそうなのだ。