言論弾圧!?

このブログにいただいたある方のコメントを拝見して、仔猫事件の坂東真砂子さんが、自分の飼い猫が生んだ仔猫を繰り返し崖下に投げ捨てている行為を批判されたことを、『言論弾圧だ』と毎日新聞に寄稿されたそうだ、ということをたった今知ったのだが、これが本当なら、あらたな怒りと蔑視の思いがわく。
コメントを書いた方も感じておられ私もそうだが、私が読んだ坂東さんへの批判の言葉に、『言論を弾圧する言葉、行為』と感じたことは一度もない。みんな、『仔猫を可哀想に哀れに思う痛みから出たそれぞれの怒りや悲しみの言葉』と感じた。あるいは、『冷静な客観的な論理』と感じた。
どこの誰のブログが、言論弾圧にあたるというのだろう。
こう書いているこの私の言葉そのものも言論弾圧というなら、それこそが、言論弾圧だ。このことは笑ってしまうほど自明の理だ。


それにしても坂東さんがちょっと羨ましい。お門違いの内容の寄稿文を、毎日新聞が取り上げて掲載して自分を正当化する助けをしてくれるのだから。
これはひがみで言うのですが、私なんか、動物問題で、どのくらい新聞に投稿したか知れませんが、みんなボツにされましたダ! ダ! ダ!
直木賞とったら、黒を白と言う内容のことだって、自分に味方してくれるのね、新聞って。(ニャンロロロロッメ!!! 怒ったゾ!!!!!!)


ま、でも、坂東さんもただの人の子。自分の行為に批判や抗議が押し寄せてきたら、怖いのと自分は絶対正しいってところにおいておきたいから、わらでも何でもいいからすがりたかったのね。ほんとにただの人なんですね。
・・・マジで羨ましいっス。私なんか、誰かが捨てるから我が家に猫が増えるのに、うちで生ませている、そうやってお金にしてる、はてはうちで捨てているんだ、などなどの噂を広められ、苦しみのあまり新聞に本当のことを書いてもらいたいと頼んだけど、新聞は私の方をうさんくさがった。あげく、ただの人とすら言われず、ヘンな人、と称される風潮が広まるばかりになったゾ。・・・トホホホ。
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追記
ひとつきちんと書いておきたいことがあった。
それは、もし坂東さんが、自分の飼い猫が子供を産み、その仔猫の貰い手探しなどしたがどうしても見つからず、思い余って殺してしまった、あるいは、自分の手で決するしかないという苦渋の選択のもとで殺した、ということであったのなら、殺された仔猫を哀れに思ったとしても、私は坂東さんに同情こそすれ、怒りや責める気持ちは起こらなかっただろう、ということだ。
この場合でも、雌を自由に外にも出す飼い方をすれば、子供は産むのは当然だから、それを考えなかったのは暢気過ぎると責められても仕方のないことかも知れないが、私自身、それがいい、と思ってしたことが犬に不幸をもたらせたことや、力や考えが至らず、猫を死に至らしめたこともある。他者から見たら不完全なことばかりだ。だから決して、結果的に不運や不幸な状態にさせてしまった人を、責め立て怒るようなことはしないと自分を律してもいるのだ。


だが、坂東さんの行為は、そうしたことにあたらず、私のこのブログに寄せて下さった方のコメントにもあり、その方もこの点に怒りを感じていらっしゃるようだったが、『仔猫を殺すことを繰り返していた』ということは、どんなに考えても理解、容認のできることではなかった。
殺される仔猫と、出産すると子が殺され続ける親のことを思うと、苦しかった。痛かった。
そういうことである。