第三十七回 太閤と関白

京の一豊屋敷。庭で大分大きく凛々しくなった千代が拾った子供、拾がすっかり老いた祖父江新右衛門(前田吟)と剣術の稽古をしている。そこに千代(仲間由紀恵)が来る。
新右衛門は一休みしながら千代に囁く。「拾様をお世継ぎにしようなどと思うてはなにませぬよ。秀吉様の家のようになってはなりませぬ・・・・・。」表情を曇らせる千代。


そう。太閤秀吉の家は、跡を継がせるつもりで関白を譲った秀次(成宮寛貴)と、このたび淀君永作博美)が生んだ拾君をめぐって、ざわざわざわざわと妖気が漂っているのである。
秀吉(柄本明)は自分の子供の拾に跡を継がせたい。だが世継ぎは秀次と公言し、既に関白の地位も譲ってしまっている。しかも秀次は関白としての責任感を持って頑張って勤めていて、諸大名の受けもいい。
秀吉は日々、わが子可愛さの欲望と猜疑を眼にこめて周りの動向を気にしている。(史上稀に見る醜悪な様相の秀吉である。)
淀君は、秀吉の醜い顔やぎらぎらした様相や老残の匂いが、死臭のようにさえ感じるほどいやでいやでたまらないが、自分が生んだ拾を世継ぎにするべく、表面はあどけない天真爛漫の笑顔を見せつつふと冷たい視線を見せている。


こうした魑魅魍魎の中、大きなわながじわじわと秀次に迫っていく。
怯える秀次。だから尚のこと、自分は秀吉に忠義であることを示そうと懸命に働く。そうすればそうするほど、秀吉の勘気を刺激していく。秀次は、「拾様が元服をされたら、自分は関白を退き、拾様にお返しする。だが今は、関白としての勤めを果たすことが、秀吉様のためになる。」と真心で言っている。


ある日、秀吉は、秀次に、「お前の三歳の娘と拾を夫婦にしよう。」と言う。突然のことで戸惑う秀次。「お拾君が元服をされましたら。」とまっとうに答える。
だが秀吉は切れる。「拾が元服する年齢にはわしは生きておらん。」と。悪気のない秀次の途方に暮れた顔。
また後に秀吉は秀次を呼び、傍らに拾を抱いている淀君から拾を腕に抱き、秀次に抱いてみよと抱かせようとする。
秀次は拾を抱きとめようとしたがぎこちなくて拾が泣く。
激怒する秀吉。


この時既に、国中に、秀次が謀反をおこすのではないか、という噂と、秀次は酒と女性に溺れているダメ人間、という噂がまことしやかに広まっていたのである。また同時に、淀君の生んだ子供は、「本当に太閤殿下の子供か?」という噂も口にされていた。
まさに一触即発の危機を孕んで、秀吉と秀次の周りは氷がはったように張り詰めていたのである。
秀次にとっては悪いことに、秀次の家来の若者たちは、秀次をあくまで天下人にすべく血気盛んな言葉を発していた。
苦渋の一豊(上川隆也)が「焦るな。」と制しても、もはや若者たちは前へ前へ進もうとしていた。自分はいずれは拾様に関白を返す、と言う秀次に、「拾様は太閤殿下の子供でない。」とまで言うしまつ。


こうして時刻は刻々と音を立てて、秀次に悲劇の運命の日に近づかせている、そんな時、石田三成中村橋之助)と淀君の指南役のような尼大倉卿が大坂城(?)の廊下ですれ違う。
三成が言う。「悪巧みはほどほどになさいませ。」
この二人の会話で、秀次が酒と女性に溺れているのも、謀反をおこすかもしれないというのも大倉卿がでっち上げ流したウソだということがわかる。山村美智子オソルベシ! である。(でもこういう人結構いる。私は松山でも東京でも大倉卿に苦しめられた。あ、ヨダンだ・・・。)


と、古今東西の世に常についてまわる相続争いや権力争いの典型のようなあれこれが進んで、来週に繋がるのであるが、ここであっと驚いたのは、秀次についていた中村一氏(ロンブー田村淳)が秀次の若者家来たちのたくらみを記した連判状を秀吉に、「恐れ多くも」と差出た、つまり秀次を売ったのである。(ゴっ!)(このロンブー田村さんの中村一氏の演技の読みを、garamani1983さんが面白く深く書いておられます。今見てきました。http://d.hatena.ne.jp/garamani1983/20060917/1158502434
実際の歴史の中ではどうであったかわからない。
この再放送を観るまで他の人の感想録は読まないと決めていたので、まだ日本史日誌のsanraku2さんのこの回を拝見していないが書かれているかな?


さて、来週は、秀次が死ぬのは決まってるようだが、微妙な危ない立場の一豊がどのようにこの危機を切り抜けるのか。あ、明日だ! 
秀次は現代的過ぎるが繊細で美男で、懸命に演じていた。権力者の醜さと、周りのものの未成熟、あるいは強欲に囲まれ、なすべもなく悲劇の底におちていく人間に対して、私は辛くてたまらない。とにかく、いるから! こういう権力者と、結局は自分勝手なとりまき!