夫のショートスティ

明日(と言っても、時計が12時を過ぎたので今日になるが)東京まで仕事関係の用事で行くので、夫は26日、27日はショートスティである。
岩瀬町(合併して市になってるのかな?)にある『湖畔の家』というケアホームに送って行った。いつもはディサービスの施設の職員さんが連れて行って下さるのだが、一度、どういうところか見ておきたいと思い、強引に自分で連れて行くからと言ったのである。


距離は思ったほど遠くなく、車で45分ぐらいにあるのだが、葬儀場の横を通り過ぎて尚、かなりの山中である。
正直、これだけでこたえてしまった。
私は老人ホームやこうした入居施設が人里はなれた山中にあるのは反対である。しかも隣接して葬儀場があるとは、私が過敏過ぎるのかもしれないがまるで姥捨て山のような気になったのであった。
建物は新しく綺麗だったが、山を切り開いて広い敷地をコンクリートで固めたところに、二列に何棟も並んでいる様は、映画やテレビで観た収容所のような感じを受け、夫を預けて家に帰り、明日の準備をシコシコしている夜中の今も胃痛が続いている。


なんだかなぁ・・・こうしてちゃいけないなぁ・・・九月は三日おきに取材などが続いて、結局十日間ショートスティをお願いしたのだが、十日目に迎えに行った帰り、「今度はちょっと長かったね。」と私が何気なく言ったら、夫はうんと頷いて目を赤くしたのだ。その時ドキリとした。私が仕事をどうしてもしなくてはならないから、と何度も話して、夫なりに納得してくれていたのだが、十日間じいっと我慢をしていたのだろう。
と言って、施設に不足や不満があるというのではないのだ。まったく夫側の問題としてなのだ。とにかく家にいたいのだ。どんなに親切にされ、その時は充分満たされても、家とはまた別なのだ。


何か、最近の私は、夫と動物たちを守ることに思いつめている感があって、死ぬときはみんな一緒、みたいな感覚である。実際的に疲れる日常であることもあるが、どうも・・・なぁ・・・と言っても、捨てられる猫や犬を守り続けてきて今のようになってしまった人生を、悔いるものはなにもないよ。たとえ、このことで他者にいいようにまないたに乗せられ、悲しい悔しい思いをしたとしても、負け惜しみではなく、子連れ狼のように生きる今の自分が嫌いじゃない。
生まれ変わっても、みんなから打ち捨てられるものの側に立つ人生を選択すると思うよ。


ところで安倍政権が誕生したらしいのだけど、メンバーはまだ知らない。朝になったら新聞で見よう。
戦争を知らない世代の首相とその首相が選んだ人たちはどんな政治をするのかな。
人が、公正ということはどういうことかを知ろうとする世の中にしておくんなせぇまし。