ぐだぐだぐだぐだ今朝も独言

向井亜紀さんの赤ちゃん
向井さんがアメリカで、他の人のおなかで育ててもらって生んだ自分の赤ちゃんを、籍に入れられず法的には自分たちの子と出来ない問題は、向井さんご夫婦と赤ちゃんのために本当に気の毒だと思う。心情的には、そんな法より人の道をとれ、と法務省に言いたい。
・・・・・それでも私は、神の領域の医療の発達を、動物たちの酷い犠牲の上に立っていることや、新たな犠牲が出てくるだろうことにおいて反対する。
だから、向井さんのことを考えると複雑になる。


■永島敏行さん
今笑っていいともの日曜版がついているのだが、永島敏行さんが出ていらした。この人は存在感のある俳優さんで以前から気になっていたのでテレビに注目して観た。
熊を殺す人のことを賛辞されていた。この人は現在、農業をやってらっしゃるそうなので、生き物が農の敵になってしまうのだろう。そういう意味では、熊を敵として殺すことは何の心の痛まないことになっているのは仕方がないのかもしれない。
・・・・・うちの周りの、猫たちの多くが急に姿を消した。また地域の人たちの合意のもとで粛清が行われたに違いない。・・・このことで、ここ二週間、私は猫たちの運命と、守ってやれなかった自分への自己嫌悪と失意で元気がない。大げさなようだが、大げさではなく、生きているのも虚しい気持ちで、本当に生きていく自信を失っている。
森にご飯をもっていくと、森の木に登って私を待っていたチビは、木の上から、「おはよう〜!」と声をかけてくれ、「ごはんだ! ごはんだ!」と風が吹くようにさああっと木から駆け下りてきた。
私が第一の森から第二の森に移る時は後になり先になりついてきた。
そのチビもいなくなった。


ハナちゃんと名づけていた、PAROさんちのブブちゃんにそっくりの模様の猫は、うちに物置にいついて、やはりいつも私とご飯を待っていた。この子は、チビが私と仲がいいのが悔しく寂しいようだった。いつもチビとはりあっていた。「ハナもチビも大好きだよ。」と私が言うのを信じてくれていた。
その子もいなくなった。


サバ色の雄の子は、物置の外でいつも待っていた。物置の戸が開くのを待ちかねていて、窓から飛び込んできた。最初は唸っていたがやがて、見かけに見えず優しい声で、「ニャ」と挨拶をしてくれていた。
その子もいなくなった。


何匹も何匹も、こうして私の親友たちはいなくなった。
いつもいつも私の気持ちが重く、どこか寂しいのはこのためである。
生き続けているのが不思議なくらい、いつも寂しい。


こうやって幾多の生き物の生命を犠牲にしなくてはいられないほど農というのは大変なものなのか・・・と言うと、農の側の人たちの熾烈なバッシングに合うのだろう。・・・そうなの? 一匹の猫の生きるのも許せないほど農というものは大変なものなの? 「確かに被害は及ぶが、まぁ、一緒に生きていくものの命までとることない。他の工夫をしよう。」とも思えないほど、生き物たちの罪は大きいの? 地球を滅ぼすかもしれないところまできている人間の罪はなぁなぁで許しているのにね。私には、猫一匹でものうのうとしているのは許さない、殺してしまえ、とする人間の心がこんな時代にしたと思えてならないですよ。


■サバちゃん
いつの間にか仔猫の名前はサバちゃんになった。一昨日からウンチが出ないので心配でならず、夕べは何度も起きて排便をさせる努力をする。やっと沢山出てほっとした。よかった、よかった!


■水泳
この前泳ぎに行って、たった50メーターバタフライをしただけで、呼吸困難に陥った。誰にもさとられずに整えたが、ひどい自信喪失に。こういう自分の年齢を思い知る形は認めたくない。かって長野の友人の家に遊びにいって、天竜川の激流を泳いで向こうの岸にわたり、以後、『カッパさん』と言われてきた私だよ。許せないよ、こんな衰え。