小林薫死刑囚の手紙

ネットで↓のニュースを伝えていた。ラジオでも聴いた。
目の奥から、涙が、ジャリジャリと砂をかくようにして出てきた。
なんと哀れな末路の人だろう、と。


犯罪を社会や世間などのせいにするなどの気持ちはない。特に子供が狙われた犯罪を、それでわかったようなつもりになどなるわけがない。
・・・それなのに・・・哀れでならないのだ。何があったのか。何でこのようになってしまったのか。こうなるほど寂しかったのか、やりきれなかったのか、怒りがあったのか、孤独だったのか、辛かったのか、悔しかったのか、苦しかったのか、惨めだったのか、切なかったのか、抗らったのか、うめいたか、泣いたか、大声で叫んだか、悪態を
ついたか、誰かを呪ったか、恨んだか、憎んだか、不条理に歯軋りをしたか、無念であったか、死にたかったか、死のうとしたか、疲れたか!
・・・私はこの全部があったよ。今もあるよ。死にたくて死にたくてたまらないよ。この世に疲れて疲れてたまらないよ。人間の多くが嫌いでならないよ。
・・・人と違う生き方をするものの多くは、悲しみに生きる力がどんどん奪われていく世になっている。


でも・・・そういう者だからこそ、子供と生き物を愛しく思って生きるのではないのか。私はそう感じている。


殺したくなどなかったろう・・・それでも殺してしまったほど、君は寂しかったのか・・・そう想うと、涙がジャリジャリと砂をかくようにして出てくるのだ。


楓ちゃんの魂にいっしょに詫びてあげよう。

奈良市立富雄北小1年、有山楓(かえで)ちゃん(当時7歳)が誘拐、殺害された事件で、元新聞販売所従業員小林薫・死刑囚(37)が書いた謝罪の手紙の受け取りを、遺族が拒否していたことがわかった。

 県警などによると、手紙は10月30日付で、大阪拘置所に収監中の小林死刑囚が「刑の執行で罪を償う」などとつづり、奈良地裁の公判で主任弁護人を務めた弁護士に届けられた。連絡を受けた県警が遺族に手紙のことを伝えたところ、受け取りを断ってきたという。

 手紙は直筆で便せん2枚につづられていた。小林死刑囚は公判中の態度について、「(両親の)意見陳述を聞いて涙が出ていたが、マスコミに見られないよう目をつぶり、ふてぶてしい態度を取っていた。公判中に謝罪の気持ちを表したくてもできなかった」と説明。そのうえで「私がこの世からいなくなっても、お嬢さんが生き返るはずもなく、私への怒りは収まらないでしょうが、刑の執行をもって罪を償うしかない」と続け、最後は「もし、霊界というところが存在し、お嬢さんに会えたら、心から謝りたい」としていた。