さいたま動物救済ネットワーク設立総会

11月22日、都心であった仕事関係のミーティングに出席した帰り、大宮に下車して『さいたま動物救済ネットワーク設立総会』に出た。
これは、『アニマルポリスを日本にも誕生させよう!』(http://blog.so-net.ne.jp/animalpolice_net/)のkanakoさんから賛同者に送られるメールで知った。自民党衆議院議員牧原秀樹氏が発起人となって立ち上がった会だということだった。
いくつかの愛護運動の団体や個人が参加されているようだった。


少し遅れて、大宮駅近くの牧原秀樹氏の事務所に行ったら、それほど広くない部屋に入りきれないほど人が集まっていた。
牧原氏は、ご自分が子供時代にあった悲しい犬の思い出から、動物の命の尊さと、命を大事にする社会にしていきたいというお話を熱意をもって語られ、また、政治家が、「動物を愛護します。」という政治信条を立てるようになることを願っている、というお話もされた。
その後の、活動方針への意見や希望が出席者の何人かが挙手をして述べていった。
現在の行政の安楽死には問題があること、虐待を見つけても、警察も行政側も関心を持たなかったり、見逃してしまうことが殆どであること、動物の問題と言うのは猫、犬に限らない、野生生物なども含めた視野を持った活動にするのかどうか、飼い主自身にも問題のあることが多いことなど、それぞれの人が生活の中で感じ、それらがいい方向になるようにという願いのこもった発言が続いた。


私も発言した。
捨て猫、犬が跡をたたないことや、野良で生きる猫の不妊手術をして、猫たちがその地域で生きることを認めてもらいたいと、どんなに願っても、地域の人の意識は変わることはない。
これは、自治会の長クラスの人の意識が、”邪魔な猫は殺してしまえ”であるか、”猫がうろうろしてると迷惑に思うこともあるが、殺したり遠くに捨てたりすることはない。手術をしているなら子猫が増えることはないのだから、悪さをすればちょっと追うなどをして、一緒に生きていこうや”であるかでは、天と地ほど意味も影響も違ってくる。子供たちへの教育の問題にも、どちらがいい影響になるかということも含め大事なことだ。そこで、地域の長クラスの人に、動物をむやみに殺さないこと、命の大切さのようなことを、国や県単位で辛抱強く伝えていくことを、システムをもってやっていけないだろうか。」
・・・・・と、私はこうした内容をかいつまんで発言したのだが、かいつまみ過ぎて、「上が下に教えていって欲しい。」というレベルの内容としか伝わらなかったようだった。
牧原氏は、「上が下にしていくより、下からじょじょにわきおこっていくほうが勢いがつく。犬の散歩をしている人を掴まえるなどして、一人一人に話して、愛護の運動が盛り上がるようにして欲しい。」という反応であった。


正直、トホホホであった。
将来を嘱望されている若き政治家氏には、これほど捨て、殺している国民が多い中の、猫や犬の問題は、こんなことを言ってるレベルではどうしようもないことがわからないのだろう。ましてや、絶望的な社会の実態の中で、自分の人生、命を本当に削りながら多くのいたいけな猫や犬を守っている者たちの”想い””望み”がわかるのは無理なのだろう。この”想い”と”望み”には、真実”私欲”がないものなのだから。本当に、我が人生と命を削っている、のだ。


人は、私欲を持つものの私欲に呼応するものだ。それでも、そこそこの結果を得る。それらしい光のようなものもそこには漂う。人の多くは、その”光”は、”光のようなものに過ぎない”ものであることを知らない。知る望みも持たない。そこまでの力そのものがないのだ。
悲しいが、その”光のようなもの”を光と思い、得、それが目的であるとするのは容易だ。
私は、そんな”光のようなものの光”など唾とともに吐き捨ててきた。そこにいれば、こんな苦しい生き様をすることはなかっただろう。
動物問題に限らず、生命を守る、人権を守る、平和を守る、戦争に反対する、などなどなどを本気で望んで生きるというのは、そんな”光のようなもの”の中で出来ることではないんだよ。本当の光を求めるなら、ね。・・・これ以上は言わない。私はわかっているが。それを書く時間はないし読みたい人もいないだろう。ただ、ひとつ言っておきたい。本当の光のために闘うということは、この世の闇の底に突き落とされる、ことなのサ。そこから、尚、本物の光を見失わず、虫のようになって生きる。・・・これが希望だ。でもサ、自分は安全なところにいて、虎の衣を借りるようにしてとうとうとヒロイズムしている人はたいていインチキだぜ。このインチキって人を心地よくさせるけれど、ね。


ところで、この会に参加して、アニポリのkanakoさんと信頼し合っていらっしゃるHさんに声をかけていただいた。面識はなかったのだが、私の発言を聞いて、「マオさんじゃないかと思ったの。」ということで、会が終わって声をかけて下さったのだ。
Hさんは、私が夫が通ってるディ施設の隣りの工場の犬が生んだ子犬の里親探しをしていた時に、kanakoさんがネット内で紹介して下さった方で、ご自身も不遇な犬の預かりや里親になってこられている方だ。
少しの時間、お話ができたが、本当に恵まれた時間だった。
Hさんは、眼差しとお顔の肌が実に清明で、清潔で温かいお人柄の方だとすぐにわかった。
私はすっかり癒されて、元気になった。
そこで、この会のことも私流に傲慢に早々と結論をつけることはやめて、私なりに妥協はしない発言をしていくことで参加していこうと決めた。ただ、私は反自民である。・・・でも、動物問題においては、接点があるということで、理解する努力をしたい。


会に対して、アイロニーな書き方をしたが、それは私の動物愛護運動に対する視点がそうであるということで、発起人の牧原議員は、正義感のある純粋な政治家だと思う。
この人は動物愛護運動の持つ底知れない”闇”すらもご存じなく、その点が、私は正直、(このことがいつか政治生命を失うかもしれないほど、危険な活動に手を染めようとしているんですよ。)と言ってあげたいほどであるが・・・そうならないことを祈りつつ、私なりの参加をしてみるつもりだ。


それに・・・傲慢な書き方をしたが、ほんとは私は偽善欺瞞の中から本物の光がさすこともあることを知っているし、神はそれを認めていらっしゃることも。・・・ま、ガンバロ。