二通の封書

何日か前に、二通の封書が来た夢を見た。表面はパソコンで書かれていたが、裏返すと、山梨の八ヶ岳の麓で、数多くの猫たちと暮らし、猫ときのこの絵を描く画家のK子さんの、手書きの名前があった。
それだけの夢である。だが目覚めてから以後、何日も経った今でもこの夢のことが頭から去らない。この日より三日ほど前、K子さんから留守番電話が入っていた。いかにも悲痛な救いを求めるような声と言い回しで、「脚が痛くてならない。今病院に来ている。」ということを言われていた。私は、彼女の苦境を心配する気持ちよりも、不快な気持ちが先に起きた。

彼女は昨年から股関節の痛みがあり、今年の四月に手術をされたのである。退院してこられるまで、私は私のできる限りの支援をした。支援はここ十数年に及ぶ。特に脚の痛みを訴えられるようになってから、身体にいいものを考え選び送ってきた。手術をされる前、猫たちのことや費用のことを心配され、「友人があなたの苦境は大変なことだから、誰かにキャンペーンをうってもらわなくちゃって言われたの。」と訴えるように私に言われた。訴えられると、相手が誰でも何とか力にあってあげなくては! と思い込んでしまう性癖のある私は、本当に切羽つまった。何しろ、社会にキャンペーンをはる余力は私にはないのである。私自身、要介護4の重さの認知症の夫の介護と、かなりの数の犬たちや猫たちの世話を抱え、全ての面でもはや極限に立っていると言っても過言ではない大変さの中にいるのである。K子さんはそれを知っている。それなのに尚こうして私に救いを求められるということは、それだけ苦しさが大変だ、ということなのだ、と私は思い、懸命に考えたあげく、K子さんの住んでいらっしゃる地元の新聞で記事を出してもらえば、近くから、支援をしようと言ってくれる人がいるのではないか、そういう人に、入院中、猫たちの世話をしてもらったらどうかと思い、その旨新聞社に相談をしたのである。
話を聞いてくれた記者氏は、関心を持ち、猫のSOSの記事を出そうと言われたのであった。K子さんはどんなに安心されるかと電話をしたら、にべもない言葉であった。「うちの猫はわけのわからない人の世話では無理。何がしたいの?」と、何かまるで私が他の意図を持ってそんなことをしたといわんばかりであったのだ。そして、猫の世話は、妹が来てくれるので心配ない、と言われたのである。
正直私は困惑した。(じゃ、私になにをしてほしかったのか?)私はこのことで、随分自分の疲労を増しエネルギーを費やしていた。だが、一番痛みで苦しんでいるのはK子さんだから、と思い、自分の困惑と不快に思ったことは出さなかった。この後も、お見舞いなど送ったり、とにかく彼女の苦痛がなんとか癒されることを願っていた。
彼女は手術が成功し、痛みも癒え、彼女の世話に妹さんがついておられ、何も心配がなくなり、晴れ晴れとされていた。私は退院祝いを送って後、ずうっと連絡をしなかった。自分の調子がよくなると、私の気遣いなどかえってうっとうしいらしい、と感じるものがあったからだ。
思えば、この繰り返しであった。私は一度自分の苦境を訴えようとしたことがあったが、「それ、聞きたくないわ、辛いから。」とはねつけられた。私は彼女が猫たちの生命を美しいと感じるそれは、やはり愛からきてると疑うことはなく、独自の生き様を通す彼女をすごいと認めているのも何があっても揺るがないのだが、時にこの人のエゴにはうんざりし、その思いは何かがあるごとに強くなっていき、脚の手術の以後から、私の気持ちは、(ほんとに今度こそもう関わりあう付き合いはやめよう)という決意すら起きていたのだ。その矢先の、「手術をしていないほうの脚が痛みはじめた。」との訴えであったのだ。
留守電があった翌日、私から電話をした。電話をとられた時、もう息も絶え絶えという様子であった。だが私の口調が冷ややかなものと伝わってから通常の話しぶりになられた。そのK子さんに私は言いきった。
「私はもう何もしてあげられない。私は、今、夫とうちの動物を守ることに本当に命がけ、という状態にいるの。この極限状態は、十年も続いてる。・・・K子さん、私たちは、いずれ野垂れ死にしかないほどの生き方を選んだのよね。誰のせいでもない。そういう日が、今や近づいた、ということなのよ。あなたも私も。」
そうは言っても、今までの私なら、何らかの工面をして彼女の窮地を救おうとしただろう。
だが、もうそういう時期は過ぎた。本音で私はいつか動物たちを抱えて野垂れ死にの運命になるだろうと覚悟をしている。それほど、この次々と動物を置いていかれる生活は凄絶な要素があるのだ。(上手に切り抜ける才がないのだ。)窮地におちるたびに誰かに助けられるのも、どこかで”本当の覚悟”という線をひいて終わりにしなければならないのだ。命がけ、ということは、本当に命をかける、ことなのだ。もうK子さんの半分は彼女が自らのエゴで招いたと見える苦境を救おうなど、それこそ堕落な馴れ合いだ。
・・・と思いつつここしばらくを過ごしていた。そう思いつつやはりK子さんを心配しているのだ。だからだろう。こんな、二通のK子さんの手書きの差出名の封書が届いた夢。この夢は何を意味するのか。・・・だがそれも考えない。もう私は、中途半端な親切心をおこすのをやめた。そんなもの!