ここのところのグチっぽい雑感

はてな日記を公開して一回目の記事は気分のいいものにしようと思っていたら、いつまでたっても更新にならない。ということは、自分にとっても社会の出来事も、いいことが見つからないということだ。仕方がないので、あまり気分のよくないことをグチっぽく並べることをもって、一回目の記事にすることにした。
森の猫の”モリ”が、ここ数日姿を見せない。これまでも何度かこういうことがあったから、そんなに心配することではない、と自分に言い聞かせているけれど、ほんとはこれまでとちょっと違う事態だということがわかっている。
これまでは、私に姿を見せなかったけれど、食卓にはちゃんと毎日来ている、という痕跡を見せていた。今回はその痕跡すら見えないのだ。何事もなければいいのだが・・・と祈っている毎日である。
ホリエモン氏の、広島から出馬という記者会見。「ここは郵政法案の賛成議員が立っていない。投票する国民には、賛成、反対、どちらをもの選択肢があってしかるべきだから、賛成派の自分が立とうと思った。」という意味のことを言っておられた。
「詭弁!」とせせら笑いたい気分はなくはないが、言われることは一応筋が通っている。確かに、私たち国民は、賛成、反対、どちらにするかを選べることは重要だ。(これまで、私の地区では、そんな”選択肢”のある選挙はまれでしたけれど、ね。皆無だったかな?)
ところで苦笑なのは、この堀江さんの会見以後、自民党の武部さんが「賛成派の議員、反対派の議員、選ぶ国民のために必要だ。だから対立候補を立てているのであって、反対派つぶしとか、刺客とか、そういったことではない。」と言明されはじめたことだ。最初からそういうきっぱりとした姿勢だったっけ? いずれにしても今度の選挙ほどいやな気分のものはない。徹底的にミーハー気分で面白がるのもひとつの手だけど、そうなれない兆しが・・・。
子供が首まで土に埋められた事件があった。こういうニュースに接すると、とたんにかあっとなる。「許せない! この子の親が犯人を許すと言っても私は許さない!」と地団太踏む思いにかられる。・・・だけど、この犯人、父親だったのですね。しつけのつもりだったとか。・・・・・・・・・・。

私事だが、形容しがたい気持ちの悪いことがあった。身に覚えのない思いも寄らないことをしたと決め付けられ、気分の晴れない結果のまま、これはこれで仕方ないとしたのだが、・・・これについては、結局は元に、私自身の中途半端な親切心(きわめて自己満足な)が招いた結果なのだと知るしかないようだ。だから他者の仕業のあれこれや経緯を書くつもりはないが・・・ほんと、自分の中途半端な善意や親切心や思い遣りというのは、単なる不愉快を生むだけではなく、自分の人権をも踏みにじられる結果になることもあるのだな、と自己嫌悪とともに思い知った。
そう、”善意”や”親切”や”思い遣り”というものは実際には人間にとってかけがえのないものだが、自己満足のレベルであったり、どこか欺瞞的であったりすると、”曲者”の牙をもって自分に仇をなすことになる。私はしばしばこういう事態を招くことがある。ということは、それだけ私自身が”中途半端”な部分があるということだろう。・・・を教訓とすることで、事態と相手への不信と嫌悪で気分の悪い今からなんとか抜け出そう。
ああ、それにしても、自分自身のお調子者ぶり、それが親切心、思いやりと思おうとしている自分の中途半端さ、欺瞞・・・許しがたい気分の悪さだ。