悔い

夫は寝つきが悪い。毎晩9時には就床できるように心がけているのだが、寝付くのはたいてい2時、3時になる。ベッドで赤ちゃんのように手遊びをしたり、壁をひっかいて遊んだり、起き上がって廊下をうろうろ歩いたりするのだ。寝付いてくれると、私も安心して眠りにつけるのだが、そういう状態の中ではさっさと眠るわけにはいかず、起きたまま様子を見ている。こういう状態が、1999年の脳出血の時から毎夜続いている。今はよくなった方である。外に出ていなくなって、夜の10時から明け方の6時まで、厳寒の森やよそのお宅の庭や町中を必死で捜し歩いたこともあった。警察に届けたことも三度ある。(警察は全く頼りにならなかったが。)町の放送も頼んだこともある。
こうした神経の張り詰めた生活が6年。最初の脳梗塞はまだ社会に出ていた十六年前で、その時からある程度の認知症的な状態になっていて思わぬ事態が起こったりしていたから、そういう日々も含めると、介護生活十六年になるわけである。
私の場合は、それよりも十年前から置いていかれる猫たち、犬たちの世話が年々重くなっていっていたから、十六年間、二つの”休みのないやらなくてはならないこと”と向かい合って走り続けてきたわけである。
疲れが激しくなると尚、表面的に頑張ってみせてしまう私である。HPなども、わざわざコンテンツを増やしたりして、外からは、『元気だ』と見えるように見せてしまう私である。・・・最近、思うのである。私が疲れてならないのは、夫や動物の世話が大変だというより、この私の性癖のせいではないかと。
それから、何事にもいちいち、『私が至らなかったからだ、私がしっかりしていれば・・・』と悔い悩む性格。ちょっと見には美徳に思えなくもないこの性格、曲者。独善のレベルのことがあるから、実際には悔いても悔いても同じ繰り返しをして、また自分のために悔いているわけで、この性格、本当に自分を疲れさせる。
昨夜もそうであった。昨夜の夫は、普段の寝付かないという様子とちょっと違う様相であった。起き上がって徘徊するのは『またか・・・』というだけのことなのだが、いつにない頑固な表情であったのだ。(いったい何をするつもりか・・・)と不安がよぎり、ベッドに横になるよう強く叱ったのである。私の強い言い方が怖かったのか、夫はベッドに横になったが、表情は頑! としたままであった。
その後、ずうっと私は、(あの顔は、何かをする理由があって、それをしたい、という表情だったのではないか。怒るのではなく、ゆっくり何をしたいのか聞いてあげるべきだった・・・。)と悔やまれてならないのだ。介護の真髄はここにある、のだ。力づくで静かにさせることではなく、”聴く”ことに。・・・ここが、自分の疲労とともになくなっていく。この悔いと不安と寂しさ。