しつこいようですが、猫指事件 テリー伊藤さんの発言に

↓の『アニマルポリス・・・』さんの猫指事件のまとめページの中に、テリー伊藤さんが何かの番組の中で、「猫を解剖して調べるべき、これは人間の生命がかかっているのだ。」と発言されたというところがあります。私はその番組を観ていないので、どのような流れでその発言になったのかはわからないのですが、猫を解剖して究明することには反対なので、そのことを書いておきます。
テリーさんは、解剖して、猫でないとわかっても、「猫一匹くらい」と納得されるつもりだろうか。またもし、それで猫が指を食べたとわかったとしたら、「ほーら、やっぱり!」と納得され、それで事件は解決したと思われるのだろうか。
私はそれは違うと思えてならない。
私も人間の生命がかかっていること、介護の質の向上のため、そして動物問題に関して、人々に公正な関心を持ってもらいたいという願いもあり、事件の真相を追究するべきと考え、この事件に拘っているが、疑いのかかっている猫を解剖するといい、という発想には抵抗したい気持ちがわく。
それは、この事件の”核”は猫ではなく(他の生き物も)、施設側の姿勢、意識のあり方だとあくまで感じるからだ。
テリーさんは、解剖してのち、施設側の姿勢を問えばいいという意識なのかもしれないが、いとも簡単に、解剖してしまえばいい、と考えられるその意識の底流に、”猫なぞ”イコール、”こんなやつら”という人間観を持っておられることを示しているような気がしてならず、なおのこと、人間の生命がかかっているからこそ、やすやすと殺していい、とするのはどうかな、という疑念と抵抗心がわくのである。
勿論、人間は誰でも差別意識や選別意識を持っているし、そのことに疑念や抵抗を覚えているのではないです。ただ、今回は対象が猫であるから、猫自身が何も言わないだけに、選別意識のような質が発した発言が、いかにも正論として力をもって通ることに、非力ながら、否!と言っておきたいだけなのです。それに、誰かの書かれたブログの記事に、猫が指を食べたかどうかは、便を見ればわかる、と書いてありましたよ。