今日も今日とて雑感

+悲鳴
この前ここに、「助けて」という悲鳴が聞こえた、という人が何人もいるらしいのにみんな何もしなかったことを残念だと書いたが、その後、リンクされてきたURLを辿ってみると、同じ思いの人が結構いるのだとわかって少し気持ちが救われた。そうだよねー、「助けてーっ」という悲鳴を聞いたら、何をおいてもかけつけるよね。そうでない人が多くなっているのは確かだ。普段の生活でそれはわかる。『人の痛みを知る』、なんて言葉は多くなっているけど、実際はそのハンタイなのさ。人の傷に塩をすりこむような人がいかに多いか・・・・・。ま、いいか。そうでない人はもっと多いのだから・・・。

+偽造
自分の保身や儲けのために、偽造することは日常茶飯事に起こっているのだろうな。
でも、小さな”偽造”はみんなどこかでしているだろう、と思う。人間て悲しいんだよ。
でもでも・・・そうした自分を知ってる人は、人の生命に関わる大事の偽造はしないもんだと思うな。今回の偽造事件に登場している何人かの主役たちは、自分のそれにも気づいたことがなかった人たちに違いない。ほんとに悲しいよね。

+ドラマ
夫が認知症になって、テレビが殆どついているから、ドラマもよく観るようになった。昨夜、テレビ朝日のミステリーものを観た。その中に、男の子を病院の不誠実で亡くした妻が、精神を病んで、死んだ子のことばかりを思い、生きている女の子のことを忘れている状況が描かれていた。ラストに、女の子の、母親に忘れられている深い傷を示す場面があって、後、女の子は、高い木に登って降りてこない。そこにドラマの主人公と母親が来て、「降りて。」と呼びかける。女の子は、「お母さんなんか嫌いーっ!」と叫ぶ。この言葉が、病んで閉じた母親の心の扉に刺さる。そして、このあと、女の子が木から落ちる。はっと我に返って木の下に向かってかける母親。女の子は地面に追突する前に抱きとめられて傷を無事。・・・と、ここで抱きとめたのが母親でなく、ドラマの主人公であったのだ。これで私はすっかりばかばかしくなってしまった。ドラマの程度に。ドラマの中心は殺人事件だから、この子供の寂しさ、傷と母親の傷の向き合いも、主人公をひきたてるだけのものにしていいのかもしれないが、そんなだから、テレビドラマはなぁなぁでつまらない、と言われるものにしかならないのでは? 

+憂鬱
あることで私は憂鬱である。今は書けないが、私にとったら社会的に重要な憂鬱。