越路吹雪さん

越路吹雪さんのドラマを放送していた。テレビをつけたらラスト近くになっていた。越路さんの最後の場所となった病院で、「いっぱい恋もしたし・・・幸せだったわ。」と言っている場面だった。私は越路吹雪の一代記があると知った時、観たいとは思わなかったが、(あのセリフを言うのかな・・・・。)とふと思った。それがこの「いっぱい恋をした。」という言葉であった。

私は四国の愛媛県の田舎に生まれて育ち、小学校を卒業するまで、音楽といえば、学校で習う歌以外では、父親が吹く尺八の音、盆踊りの民謡、祖母が好きで私を連れてよく聴きに行った浪曲、私自身が習っていた(習わせられていた)日本舞踊の曲と、それについてまわる鼓や琴や三味線の音、それから、村の有線から流れる歌謡曲三橋美智也、藤島たけおなどの)しか知らなかった。
中学生になって東京に移転し、世田谷区内の中学校に通い始めてはじめて上に書いた音楽以外のものを耳にした。クラシックである。そして、音楽のテストで歌わされた歌が野ばらであった。感性がそうした曲を受け付けるまで育っていなくて、私は本当に音楽の時間が苦痛になったものである。
こんな私が越路吹雪という歌手を好きになれるわけがなかった。というより、この歌手の素晴らしさをわかるわけがなかった、と言うべきかも知れない。顔立ちも、美空ひばり島倉千代子松山恵子という歌手しか関心がなかった私には、越路さんの日本人離れした風貌が美しいと思えなかった。
それが大人になって、外国の映画に熱中したり、ジャズやポップスを友人と聴きに行くようになってから、越路吹雪が私の中で輝き始めたのである。そうなると今度は、この歌手のスケールの大きさ、迫力、華やかさ、表現力などに圧倒されるようになり、近寄りがたい高い存在になったのである。
亡くなった後に、岩谷さんの書かれたものだったろうか・・・もしかしたら新聞か雑誌の記事だったのかもしれないのだが、越路さんが「いっぱい恋もしたし・・・幸せだったわ。」と言われたと知った時、(この人は、私などの想像力ではつかめない自在な世界観をもって生きた人なのだな・・・。)と思い、敬意の念がじわじわとわいたのだった。私の世代以上の人が、”恋”を衝撃的なほどに自然に語れる人はそういなかったのだ。やはり特別な人の証のように思えた。

レコードも何枚か買っていたし、越路さんの歌のいくつかはそらで歌える。(人前で歌ったことはないけれども。)今夜、越路さんのドラマがあることを知っていたけど、観たいとは思わなかった。あの人を演じることのできる女優がいるとは思えないからだ。この一代記は、瀬戸内さんと杉村春子さんもあると言う。(あったのかな?)瀬戸内さんと杉村さんは、女優によったら素晴らしい演技になり、見ごたえのあるドラマになるだろうと思う。お二人の情念は、スケールは並外れて大きいとしても、日本の土壌そのものから発していると感じるからだ。
でも越路吹雪は違う。あの人の生まれた大地は国籍を持たず、まいた種はやはり国を選ばず自在に自由に芽を出していくと思えてならない。そういう人を演れる女優がいるのだろうか。

ところで、ラストに、コスモスの群れて咲く中で、岩谷さんが会った少女、あの少女はこの前亡くなった本田美奈子さんを想定しているのでしょうね? きっとそう。本田美奈子さんが、何かのインタビューに答えて、「越路吹雪さんのような歌手になりたい。」と言ってらっしゃった記憶がある・・・でも定かじゃないけど・・・きっとそう、本田美奈子さんだ。