ライブドア問題

ライブドアのやり方がどんどん明らかになっているようだ。そのことも悲しいが、それに従って浮き彫りになる人々の豹変についていけず、ひどく落ち込んでいる。
何で私がこんなに気分が重くなる必要があるだろう。国の経済をしょってるわけではないのに・・・。
堀江さんが登場した時、私は株式等を何もわからないまま喝采し、その後、何か変化があるごとに白けたり、ひいたり、そして今回、最初に喝采したことの責任をとらなくてはならないと感じてしまう、・・・この自分の過剰反応に落ち込んでいるのだな。
思えば全てにこうだ。例えば、誰かから、聞きたくもない誰かの陰口を聴いてしまったとする。すると、この、聴いた、という事実にひどく責任を感じてしまうのである。そして、自分は真実求めて聞いたわけじゃないし、その人を悪く思っていないのに、聴かされてしまった自分を許せないのである。気がつくと、私に強引に陰口を言った人間と、言われた人間は仲良くなっていて、私は”孤立”の道に突き進んでしまうのである。
・・・この性癖って、多分、精神学的には、幼児期のトラウマによる人間関係を円滑に築けない病理のひとつであろうと思う。余談だが、茨城に引っ越してきた時、こうした自分の心理面を分析する力をつけようと、筑波大学に聴講生として二年間通い、心理学を学んだものだ。これで大分、自分の”心の道”の開拓が出来ましたが。

それにしても、ライブドアの問題にまでこう自分を追い詰めることはなかろうに・・・と我ながら悲しいっす。生き難いっす。
これでチャパが帰ってこなくなってみろ。深刻だゾ、こりゃ。