バニラ気分より 『言葉と洞察』

昨日、森の猫のネコが死んでしまい、どうしようもなく気持ちが沈んでならないのだが、そんな中でも、自分の重い気分と関係なく、ふっとテレビやラジオで聞いた人の言葉が浮かんだりするからおかしい。
土曜日のお昼に『バニラ気分』という番組がフジで放送されている。実はこれは夫が毎週観ている番組である。脳梗塞になるまで、夫はバラエティ番組、歌番組、ドラマなどは殆ど関心がないようだったのに、脳梗塞以後、料理番組やトーク番組を観るようになった。このバニラ気分は両方が入ってるから楽しめるらしい。
私も一緒に観るようになったのだが、松平けんさんの料理がいい。何がいいって無口なのが絶対いい。私はグルメじゃないし、料理番組は贅沢すぎてオソロシイ気持ちがするのであまり好きではないのだが、特に料理をする人のとうとうと述べるウンチクがうっとうしくてならないことがあって嫌なのだ。
そこへいくと、マツケンさんは、寡黙に手際よく調理をされ、料理場が清潔にさえ感じるのである。(ウンチクたれながら作ってる人が清潔じゃない、ということではないですヨ。)
司会の今田さんのシャイさも好感を感じるようになり、今では土曜日のお昼は『バニラ気分』の我が家になっているのだ。
そこで、昨日はゲストのお一人が石原良純さんであった。”ふっとテレビやラジオで聞いた人の言葉が浮かんだ”のは、この人の言葉である。
「何でもかんでも、問題を大きくして悪くしがち。」・・・実際はたいしたことではないのに、ちょっとした人の言動を取りざたして、失言であるとか、悪い意味に決定付ける昨今の世相に対し、”他者にもっとおおらかであってもいいんじゃないの?”という意味合いで言われた、と私は理解した。
石原さんの場合、もしかしたら、父親の都知事が、しばしば発言がけしからんと批判を受けておられるので、そのことが含んでるかな、とも思うし、そうであれば、都知事の立場となると、ひとつひとつの言葉は注目されるのは当然でしょ、と言いたくなるけれど、一般的に見て、人の言動のあら探しをする傾向が強い世の中になってると日頃実感しているので、昨日の良純さんの言葉に共感したのである。
人を悪くしようと思えば、ちょっとした言葉ひとつをもって、そうする(される)ことが出来る。言葉のうちにある心の洞察をしなくなっている結果だろうと思う。私が気になるのは、この”洞察”である。相手が何を言おうとしているか、と洞察するより、その言葉の意味を自分にもってきて、「あの言葉は、こういう意味に決まってるでしょ。けしからん!」と人を短絡的に決め付けてしまう。
『言葉』、『その言葉のうちにある心や思い』というものはそんな浅いものじゃないでしょう。言葉から何を洞察するか、感じ取るか・・・これって、本当に重要だ。