ラジオ子供相談室より

昨日、東京へ行く車の中で、TBSラジオ『子供相談室』を聴いていると、「私があいさつをしたのに、無視した大人がいます。そういう時はどうしたらいいですか?」という質問があった。小学生の低学年の子供の声である。
私はぼんやりと聴いていた耳を正した。先生は埼玉の朝霞で教師(?)をされている方のようだ。その先生がどのような答えを出されるか待った。


「その人は知らない人なの?」
「はい」
「あなたは、知らない人にもいつもあいさつするの?」
「はい」
「あいさつをかえしてくれる人もいるのね?」
「はい、います」
「でも、あいさつをかえしてくれない人もいて、そういう人に、どうしたらいいの、という質問なんだね?」
「はい」
「そう。あいさつをかえしてくれる人も、かえしてくれない人も、その人、その人の考えがあるんだよ。かえしてくれない人には、その人のその時の考えや事情があるの。全部の人が、あいさつをかえしてくれないと嫌だ、そういう人はよくない、とあなたが思っているなら、あいさつなんかしない方がいい。」


私はこの答えを聞いてホッとした。先生が、「あなたがあいさつしたのに、かえしてくれないなんて、嫌な大人だね。」というような意味のことを言われるのではないかと気になったからだ。
実際、自分が○○をしてあげたのに、あの人はこうした、ああした、と、自分の期待と違った相手を、悪く言う人が多く、そういう人の言った言葉が、結構世間に影響していくことを、私は憂えている。(ナマイキな言い方ですが。)
自分はこうしてあげたのにのこの”あげた”という意識そのものはいいと思うのだが、”あげたのに、こうであった”という意識は、常に誰かを悪者にするか、排他する意味を含んでいて、私は嫌いである。
私なども、相手の求める答えをしないところがあるので、何度も驚くような決め付けを広められることがある。ま、私のことはどうでもいいのですが、子供が、子供の時代から、「○○してあげたのに、あの人はこうだった。あの人はダメな人。」なんてレベルの人間理解を身につけてしまったら、その子にとって不幸ではないかと気になったのです。

私も、この先生が、子供に、「それは悲しいね。せっかくあいさつしたのに無視するなんて、嫌な大人だね。」と言うのではないかと思ったのだから、困ったもんです。私自身、自分の偏見強いです。身構えるというところもあります。反省します。(_ _;)