映画「エミリー・ローズ」デリクソン監督のインタビュー記事から

最近のテレビの映画予告編に、「エミリー・ローズ」が繰り返し出ている。悪魔がついた若い女性の物語らしい。実話と言っている。昔ヒットした、少女に悪魔がついた「エクソシスト」も実話と言われている。「エミリー・ローズ」と「エクソシスト」は元が同じなんだろうか。もし違うとしたら、別の実話ということで、悪魔がついたという話は結構あるということだろうか。そういえば日本では、「狐つき」などという言葉がある。私が子供の頃は、山で行方不明になって帰ってきたどこかのおじさんは、「たぬきがついて戻ってきた。」などと言われていたことがあったっけ。


と、14日の朝日新聞の芸能欄に、「エミリー・ローズ」を撮った監督のインタビュー記事が出ていた。ちょっと気になって切り抜いておいた。
何が気になったかというと、こういう悪魔がついた、という映画が好きなのである。ホラーとしてではなくて、真面目に悪魔をテーマにしたもの、という意味である。
と言うのは、私は、『”悪魔”はいる』と思っているからだ。信仰をしている方が、「人間の心に、神もいれば悪魔もいる。」とよく言われるが、そういう、人間の個人個人の善心と悪心のレベルとしてではなく、私は、『”悪魔”という絶対的な存在がいる』と思っているのだ。
この記事で読むと、「エミリー・ローズ監督は、『神秘を求める人間の心の闇を探りたかった』と言われているようで、この言葉からすると、人間の”悪心”を悪魔と認識されているようにとれて、もしそうならちょっとがっかりだな。そのレベルならわざわざ映画を撮るまでもないでしょう、と言いたい気がする。でもこれは記事を書いた記者の感性のレベルを示しているだけかもしれない。映画を観れば、監督の意識はわかるだろう。

私は、現代に生きる”悪魔”を書き表すことができると、実は思っている。それは知っているからだ。その正体と、どのように現れているかを。
数年前からそれを書きたいと思っているのになかなか書けない。なぜなら、”神”に会ってないからだ。・・・・・・ナアンチャッテ、こんなこと本気で思っていると、病理と思われかねませんね。(笑)


☆補足
人がかってない様相になったことを、全部が全部『悪魔のしわざ』と思っているわけではないです。
よくいわれる、『人間には良心があるがその反対の心もあって、思わぬ時に、自分の中に他者に対する憎しみや怒りなどなどを自覚することがある、その”悪心”を悪魔と言う』場合もあるだろうことはわかっています。また精神的な強迫症、ヒステリー症などの精神の病理としての症状のこともあるでしょう。
ですから、人が変わったと言われる驚愕の様相の多くは、よくいわれることにあてはまるとわかっています。でも、稀に、本当に稀に、そういうことに当てはまらない、”本当の悪魔がいる”ことを感じているのです。・・・・・すこぶるマイナーながら”文筆表現”をしようと試みている私の触覚が感受しているだけのことですが。(笑)