最近のこと

+ビデオ 『冬のソナタ
このドラマへの関心が凄い勢いで盛り上がっていた頃、とんとついていけなくて、ペ・ヨンジュンチェ・ジウもどーでもいい人だったのだが、最近急に、(観てみよう・・・)という気になり、図書館からビデオを借りてきた。
遅ればせながら、はまりそう。ネモ船長さんのアドバイスや情報をもらって、興味は深くなるばかり! こうした高まりって生活に疲労した心身のリフレッシュをしてくれるようで、最近気分が明るくなってきた。


+水泳
気分が明るくなってきた、と言うからには、その前はいかに気分が落ち込んでいたかということだが、実はとても沈みこんでいた。
今年になって、森の猫のネコが不慮の死をとげた後、家の犬のイツカが9歳という若さで病死、その後、14歳、15歳のクロ、サクラが手当ての甲斐なく死んでいった。
いずれも、今年の冬の寒さと、次々と新たに入る犬たちのことがストレスが、この犬たちの生命を縮めたのに違いない。新たに捨てられた犬たちが哀れで、助けないでいられなかった自分が、結局は、誰も幸せにしてやっていない、老いてきた前からいる犬たちを孤独に追い詰め、ストレスを負わせていたことを突きつけられた思いである。
そのことが私自身にストレスとなり、年が明けてから心が重苦しくなるばかりであったのだ。加えて、最近また、大きな犬が四頭我が家の周りを彷徨うようにしている。このうちの三頭は、Hさんという人の飼い犬だとわかっているのだが、Hさんがいつこの三頭をどのように”処分”するのか気がかりでならないのだ。Hさんはこれまでもそうされてきて、犬というものはそうするものだ、と硬く信じ込んでおられるところがあるのだ。私はこれまで三度、Hさんのお宅を訪ね、飼い犬の避妊手術を私にさせて欲しいことや、庭のすみでいいから、柵を作って、そこに犬を入れて世話をしませんか、ということをお願いしてきた。私が世話をしてもいいからとも提案してきた。私は次々といなくなる犬が可哀想でならず、もうそんな酷い飼い方をしないで下さいと訴えたかったのだ。
反発されては逆のことになると怖かったし、また失礼であろうと思い、強くは言わなかったが、真摯にお願いしてきたつもりである。
だが、今もこうして大きな犬がうろうろする結果になっている。きっとどこかの人が、保健センターに捕獲を依頼するようなことになるだろう。
その前になんとか安全に生きられるようにしてやりたいと、悶々としている。


こうしたストレスに苛まれはじめると、自分の内部に深刻な危険状態がおきはじめる。脱力感、虚無感をともなった欝傾向である。
ここのところそれとの闘いでもあった。
そこで、思のだ。『このまま潰れてしまっては、夫の介護、うちの動物たちの世話にも支障をきたす。私自身も生きる楽しみを見失う。なんとかしなくては!』
落ち込みは激しいが、立ち直りもまた激しい。それで私はこれまで独自の生き方をノーテンキにやってこれた。
そこで決めたのは、『泳ぐこと』である。
車で15分か20分のところにあるゴミ処理場の熱を利用して隣りの市が作ったお風呂のあるフィットネスがあるのだが、500円でプールもお風呂も利用できる。そこのプールで泳ぐことを決心したのだ。
夫のディの時間を少し延長すれば、犬たちを散歩させた後、そこでひと泳ぎして、夫の迎えに行けばいい。
思い立ったらすぐやる。昨日、泳ぎに行った。
泳ぎはまあまあ出来る。水泳のコーチをバイトしていたくらいである。子供会活動で、ホテルのプールを借り切り、一週間、水泳教室を主催したこともあるくらいだ。自分で言うのはなんだけど、私は子供の恐怖心をとりのぞくものがあった。どんなに水を怖がる子でも、私が水の中で両手をひろげ、「大丈夫、私の胸をめがけて飛び込んでおいで。絶対受け止めるよ。」と言うと、三年間水泳教室に通っても水に顔をつけられなかったという小学生が飛び込んで、あっというまに泳げるようになったこともある。
とにかく、真剣に、本気の本気で、あなたを守るよ、ということがその子にわかれば、何の怖いものはなくなるのだ。
私はそういう向かい合いをしてきた。何事にも・・・・・余談ですが、大人は私のこの姿勢を妙な誤解をして、中傷、誹謗の限りをつくしてくるって人がいた・・・平和や愛などを語りたがるところにほど・・・ナアンチャッテ、もうそのことはいい。私もそうされてオロオロウロウロ何を言われても仕方のないような無様をさらした。もういいのだ。生きていく中で、一番忘れていいことは忘れ去るのがいいのだ。いつまでも影響をうけていてドースル・・・・・と、重い横道にそれてしまったが、とにかく、久々に泳いでみようと思うようになった。


ひゃ〜! 年には勝てないなぁ。四種目の泳ぎを25メートルづつやっただけで、もお息があがってぼろぼろ。後は水の中を三十分歩いた。一方の方向には筑波山が見える。黙々黙々黙々と水をかいて歩いた。こういう時刻が好きである。無心になれる。マラソンが好きなのもそうだ。ある苦しい距離を走っていくと、急に何ものからも解放されたような至福の無私の境地に入る。身体の疲労も、心の苦しみもない境地である。
剣道をやっていた時も、試合の時、こうした境地になったこともあった。だから剣道も結構長く続いた。
テニス、フェンシグ、乗馬もやったが、これらはこうした心境になるほどの楽しさを覚えることはなかった。バレボールのような団体競技はもお私には全くダメだった。ママさんバレーで県大会の予選に出たことがあるが(若い時代)、ひとつも楽しくなかった。
サッカーもやったし、ソフトボールもやった。それぞれに面白かったが、マラソン、水泳、剣道へのはまり方はなかった。個人主義なのだ、私は。


あれ? 随分横道にそれた。・・・というわけで、この春から、水泳を続けようと思う。心身のリフレッシュをして元気になるのだ。


思えば、こういうことを幾度繰り返してきただろう。何度も何度も同じような状況におちては自分を叱咤し頑張ってきた。

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