山口母子殺人事件について 今日思ったこと

要介護4の夫は、平日は毎日ディサービスを受けに行くのだが、土日は休みなので、今日は起きてからのんびりテレビに向かっている。認知症の夫にとって、関心を持つものがあることが大切だと思うので、出来るだけ私も一緒に観るようにしている。夫が画面に向いておかしそうに笑ったりすると、それだけで嬉しい。認知症になって、無表情で何事にも無関心になっていくのが可哀想でならないのだ。だから、何でもいい、おかしく感じたり、面白く感じたりすることがあるのは嬉しいのだ。


そうやって、午前中ずうっと、一緒にテレビを観ていた。何が観たいというわけではないので、チャンネルをそのままにして、放送されるものを観ていくのだが、テレビ朝日スクランブルになり、山口の、若い母親と赤ちゃんが殺された事件の被告の弁護人の足立さんが生出演されて、そこから座りなおして観た。
先日の記者会見で、安田弁護士が、事件の調書を見て、真実と違うこと、検察側の捏造があるとされ、被告に殺意がなかった、これは殺害事件ではない、また赤ちゃんは、泣き止まそうとしてひもをちょうちょ結びにした、ことがわかった、と説明されたことに、人々から非難が轟々とわいたので、それに対して、弁護側の考えや見解を述べるために、足立弁護士が出てこられていたようだった。


司会は東ちづるさんがされ、他に、朝日新聞編集委員の方、元弁護士の方たち数人がおられて、皆さん、先日の記者会見の内容を非難する気持ちを持たれているから、図式的には、足立弁護士一人がつるしあげをくってるような形にも見え、その点ではちょっとお気の毒な気がした。思い切って主張ができにくかったのではないか。


足立弁護士の言葉を聴くと、『調書を見ると、殺意がなかった、ということが事実として浮かび上がったので、弁護士としては、当然浮かび上がった事実を重視し、弁護をするのである。』ということであると理解できた。そして、足立弁護士は、『赤ちゃんを床にたたきつけた痕跡はなかった。あれは検察の捏造だ。』と言う意味のことも言われた。
それを聴いて、私ははっとした。


『安田さんは、被告の人権を守ろうとして、策をもって罪を軽くしようとしているのではなく、調書を見た段階で、検察の決め付けを洞察し、捏造があると感じ、真実を調べなくてはならない、という決意の言動なのか。』


もし、そうであったら、私が感じ、日記に書いた、『弁護側は真実を捻じ曲げている。』は間違っている、ということになる。実際、検察側のでっちあげで、どれだけの冤罪事件があったか、ノーテンキな私にもわかることである。


でも、心情において、殺されたお二人とご遺族を痛む気持ち、人権を守ろうという気遣いも配慮もなかった弁護士への憤りは消えない。今日の足立弁護士のお話では、決して死刑廃止運動(足立さんは、廃止を求めるのではなく、制度を見直そうと言っているのだ、と言われていましたが。)のための言動ではなく、弁護士として真実を明らかにしたいだけである、と言われていたが、どうしても、自分たちの運動のためと感じてならないのだ。


ただ・・・足立弁護士の今日の出演を観て以後、私は、法の上では、死刑にあたらない罪を、みんなでよってたかって、死刑にしようとしているのだろうか・・・という思いが出てきた。・・・私個人の心情は、殺意があろうとなかろうと、あのお二人を殺し、辱めた行為は、償いようのない重い罪だ、と硬く思う。そしてもし私が殺意があろうとなかろうと、罪のない若い人と赤ちゃんを殺してしまったら、死をもって償うしかないと思うだろう。(前にもこのことは書いたが。)(私は死刑制度の見直しをすべきと考えており、具体的に、被告が死刑になればいい、ということを思っているわけではないです。でも、うまくいえませんが、この事件の被告の罪は、正当化できるものはどこにもない許されざるものだと思っています。)


・・・だが、法は、こうした心情のみで作られているのではなく、また心情が大きく動かしていいはずはない。・・・このことに気づき、正直に言って、とても不安だ。


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