こんな日もあるのよ

死ぬときに、「生涯に悔いることがあるか?」と天に問われたら、「家庭を持ったことだ。」と答えるに違いない。
私はどうも無意識のパワーがある人間のようで、誰にどんな時に会っても、「あなたはいつも明るい。勇気を与えてくれる。」的なことを言われることが多い。「幸せだからなのね。」と言う人もいる。


何を隠そう、私は幸せなんか感じたこともない根暗のうじうじ人間なのだ。特に結婚して後の暗さといったらもおどーしよーもないくらいのもんであった。とにかく、夫という人間が、”妻と会話するということは、そんなもんは下々のやること”と思い込んでいる、あるいは思い込まされている人だったのだ。
私は会話を好む人間だったので、この夫の特性には本当に傷つき、それによる孤独感は日々年々深くなっていき、胸の底や心の壁あたりがじょじょにじょじょに蝕まれていった自覚がある。
長男が高校生になったある日、私は何もこの子に言ってないのに、突然、「おやじといるとおふくろがダメになるよ。家を出て自分らしく生きたほうがいいよ。」と言ったくらいである。


さて、もうひとつ何を隠そう、それやこれやの生活を解消しようと、離婚話を今日しようか、明日しようか、と悩み続けていたその年、夫は一回目の脳梗塞に倒れたのであった。
あの日から十七年。介護に明け暮れている。明け暮れるのはいい。ほんとにいい。これはアッタリマエダのクラッカーてなもんやだ。


だが、人との気持ちや心の交流を必要としない人間性は、認知症になっても変わらずで、なおかつ、人を下々とする特性は顕著になり、私は、そのことに傷つき嫌になってしまうことがある。それは発作のような強烈さで襲うことがある。


今日がそんな日であった。救いようのない虚無感。耐えがたき喪失感。「やり直したい日にさかのぼるならいつ?」と訊かれたら、「母親の胎内にいるより前。つまり無に戻りたい。」と伏して切願したい寂しさ。


思えば、人の期待に応えようとしただけの人生だった気がするよ。鬼父に一度でも抵抗していれば、もう少し、自分の欲しいもののために生きれたかも知れないのに・・・。自分のしたいことや欲しいものがわからぬまま人生を終えるほど抑圧されてきた人間の典型のような私であるなぁと、そんなことも思ってしまった今日一日であった。


仕方ないっす。こんな日もあるのよ。