猫が嫌い、ということ

下の野良猫大移動で大分怒っていることで補足しておこうと思います。
猫でも犬でも、捨てられて悲しい姿になっているのを救おうとする人がいると、必ず、「嫌いな人がいる」という論理が出てきて、結局、救おうとする人に非難が集中し、猫や犬は処分されることになります。
私は、この方式がさっぱり理解できないのです。


猫や犬が嫌いな人の「猫や犬が嫌いだ!」と言う、このことは理解できるのですよ。私は、”猫や犬が嫌いだ”という人を怒ったことも非難も批判もしたことはないです。気持ち的に、(好きになったらいいなぁ〜)とは思いますが、本当にそのことで怒ったことはない。
友人たちに、「私のようになってはいけない。人生がおかしくなってしまう。かわいそうだけど自分は世話ができない、と思うなら、そのまま見過ごすことも必要よ、それも勇気よ。」と言ってきた。(私はその勇気がなくて抱いてしまう、そういうことです。)
でも、理解できずついイカッテしまうのは、『私は猫や犬が嫌いだから、猫や犬をいなくさせてくれ』や、『猫や犬を嫌いな人もいるから、このあたりの野良猫や犬を処分するのは仕方がない』という論理とそれを実行する人にです。


個人個人が、自分の庭にくる猫を迷惑と思うなら、追うのは当然です。でも、根絶やしにしようという運動をおこして、行政を味方につけ、生命を奪ったり、守ろうとする人を非難の渦に叩き込んで悪人にしてしまう、このことは耐え難く悲しいです。


地域ぐるみで野良の不妊手術をしてその猫たちは終生無事であるようにする活動もあり、それに懸命にあたっている人も多く、行政もその方向に理解を示しているところも多くなっているようですから、私はそこに希望をもっています。私は二十数年に及び、独りでそれを黙々とやってきて、悲しく苦しいことばかりだった、というのが正直な思いですが、最近、やっと、マスコミも行政もこうした人たちに理解を示すようになったのかと思うと、自分が受けた数々の苦しみも消えていく気がします。


福岡の移動させられるという野良猫たちの無事と幸せに生きられることを祈っています。