怪談・・・い、いえ、階段の話し

夫はつい今まで平常な状態であったのに、トイレに行って部屋に戻る時にはオカシクなっていることがある。お湯が入ってない湯船に入ったり、自分の部屋を通り越して外に出てしまったり。
昨日は、階段を上ってしまった。夫のように足がおぼつかなくなっている者にとって、二階に上がるということは命がけになる。上るのは割合簡単だ。両手をつきながら一段づつあがればいい。だが、降りるのが大変なのだ。まさに、行きはヨイヨイ、帰りはコワイである。


認知症というのは、状況をみて、危険のない方法をとるなどの判断能力が失われているから、やみくもに立って降りようとするのである。そのくせ、恐怖感は強く、立って下を見るとその恐怖感にとらわれるのだろう、パニック状態になってしまい、こちらの助言は耳に入らず、身体を支えようとすると、必死にしがみついてくる。そう、溺れた状態になってしまうのだ。(あくまで夫の場合、ということで、認知症の人みんながそうだということではないです。)


夫の認知症が重くなって、さまざま危険なことがあった。冬の最中の夜の10時ごろにベッドから消え、必死で探し回ったが見つからない。警察にも届け、なお探し回って、やっと朝の六時に見つけた。やはり家から出てしまい探し回ったところ、25キロも先で顔面血だらけになっているところを見つけたなどなど、随分こちらの命を縮められた。(だからもし私が100歳で死んだら、本当の寿命は120年はあったのにィ、と思ってね。)


それらに増してこちらの命が縮むjのが、階段に上られることだ。結局、パニクッテいる夫に、「うるさい! ガタガタ騒ぐな。そうやって騒いでここから落ちるか、私の言う通りにして無事に降りるか、どっちだ!」と怒鳴りつけて、シュンとなったところを、今度は穏やかに、指示をする。立って降りないで、這う形になり、顔は階段の上をむいて、足を一段づつ下ろしていくのである。この時はこちらは絶対にイラついたりせかしたり怒ったりしない。下の廊下に着くまで、ほめて励ます。(下に降りたらケリを入れる。・・・ウソです。思うだけです。)


昨日、久々にこの騒ぎがあり、ナーンカ疲れきった。今も倦怠感のような疲れが残ってしんどい。夕べなんか、夫が就寝した後、ぐったりだった。この前うちの近くに捨てられていた子猫が四匹とも元気になって、居間でお茶を飲んで休んでいると、私の身体にミーミーミーミーミーミーとよじのぼってくるのが、もおアクマのように思えるほどしんどかったッスよ。