認知症の母を殺した事件

リンクを辿っていったらある人がこの事件のことを書いたブログについた。
その人は、母親を殺した人がそこに至るまでの生活費のことなども書いて、実状をよくつかんでおられるのだが、彼が母親を殺す前まで、明るくて他者からそんなに困窮してるように見られていなかったことや、生活保護ももう一度手続きをすれば出るようになっていたなどであったとして、事件に疑問を感じていらっしゃるふしが見えた。


そこで、私が思ったのだが、これから死のうとか、心中しようと言う人が、それらしく見えないからおかしいというのは当らない気がしますゾ。
私なども、今日死んでもいいと思うほど思いつめていても、なぜか人にはいつも元気で明るいと言われる。そういうもんなのよ。
また生活保護も、もう一度手続きに行けば可能だったというのは、事情の詳細はわからないが、時として役所からまるで物乞いに来たかのような扱いを受けることがあるとも聞くし、そうであれば、あとチョット努力すれば保護が受けられるとわかっても、死ぬ方を選ぶこともあるですヨ。そういうもんなのよ。


私は、町役場の介護・福祉課の人はどの方に会っても誠実で裏表のない対応で、担当の人自身に対しては信頼感を持っているが、別の介護関係のところにはもう二度と死んでも行かないと思っている。これも本当はそんな大層なことではないことであろうとは思うのだけど、切羽詰った状況を抱えているものには、決定的な見下しに感じることもあるのですね。命をはっても抵抗したくなる、とそんなになってしまうこともあるのよ。


他者のことはともかく、私にそんな日がきたら、やっぱり笑って死にますヨ。後で誰からもそんな風に見えなかったと言われると思う。(笑)と言っても、生きてる間は死にませんけどね。