第三十回 一城の主

昨日は忙しいのと気がかりなことに気持ちが騒いでいたので、このドラマに集中出来なかったのだが、やっぱり感想は書いておくことにする。自分が怠けてパスしは、他のいつも感想を拝見して楽しんでいるブログさんちに行けない気がするからである。こういう性分って、よく言えば律儀、普通に言えば融通がきかない、悪く言えば小心って言うのかしらん。ま、それはどうでも。


今週の功名が辻は、時は天正13年7月。秀吉(柄本明)は関白サマとなって大坂城に君臨し、山内一豊上川隆也)は長浜城の主となり、千代(仲間由紀恵)は当然城の長い廊下を内掛けの裾を引きずり腰元を何人も後ろに従わせて歩く堂々の奥の主となっている。
千代の人の上に立って仕切る才能はますます輝いて、戦いの後自分の国に帰る佐々の兵が長浜城で一休みする時などは、蔵の米がなくなるほど振る舞い元気付ける。一豊など、蔵が空っぽになっているのを知った時は、それはもうあたふたおろおろと、「もし戦になったらこの有様では勝ち目はない。」と泣かんばかりなのだが、千代は、「そういう時は上様(秀吉)を頼ればいいではありませんか。」とケロリとしたものである。のみならず、「殿は次は一国の主になられる方。」と一豊を持ち上げ、娘のよね姫と踊って回るほどの余裕である。仲間由紀恵は、こうした大らかさを本来持っている人なのだろう。観ていると、ついつい気持ちが和んで微笑んでしまう。これが他の人が演じたら、「バカじゃないか。」と思ってしまうかもしれない。
一豊は、こういう千代に安心しきって頼り切っているのだが、上川隆也はもともとは精神的な重い役の人と思っていたのだけど、いつまでたっても青臭さというか純朴を失わないちょっと頼りないこの殿にはまっているのが楽しい。


さて、今週の中心は、光秀の娘で細川忠興の妻である玉(長谷川京子)の運命である。
玉は、実父の光秀が謀反人となった後、忠興に丹後の山奥に幽閉されていたのだが、今週はその二年後となっていて、ひっそりと一人の侍女とともに生きている。
玉は、一豊の弟の康豊(玉木宏?)が崖からおちて怪我をしているところを助けて、自分の庵で休ませる。康豊は、本能寺の変の時には信長の長男信忠の臣下(?)であったが信忠の死を見届けた後、この流れから世の中をみると、兄は光秀に討たれるに違いないと読み、せめて自分は生き延びて山内の血筋を残したいと逃げたのである。が、情勢は自分の読みがはずれ、どこに行っても、逃げたことを人から謗られ、失意のまま浪々の身となっていて崖から落ちたのであった。
そして玉に救われ、玉にこのような意味のことを言われる。「互いに私の父光秀によってこのような運命を辿ることになったが・・・。」・・・多分ここで、康豊の胸に、玉に対する特別の理解や感情が決定付いたのではないかと思う。この章では、玉は夫に呼び戻され細川の城に戻り、夫と子供二人と再び幸せになるはずだったが、子供は侍女になついていて自分を拒むし、夫は側女に赤ちゃんを生ませるし、玉の心には空疎な穴があき、そこに悲しみと寂しさと虚しさのようなものが詰まっている、という感じである。
玉はクリスチャンとなる人であるが、そこに康豊がどのように関わっていくのか興味深いところである。
また、この玉に、秀吉が関心を寄せている場面もあった。玉と秀吉の関係は、歴史や小説でさまざま取り上げられているが、このドラマではどうなるのかも興味がそそられる。
細川幽斎近藤正臣)が、息子の嫁になる玉のことを秀吉に、「丹後から戻って、妖気が漂うように変貌している。まるで光秀の怨念がのり移っているかのような。」と言うが、長谷川京子から妖気という濃厚なものは感じなかった。でも悲しく儚い美があって、しかも瞳に賢さがあり新しいタイプのガラシアになりそうで、そこも興味が深い。


興味といえば、茶々(永作博美)と石田三成中村橋之助)の行方も興味津々だ。
茶々は、秀吉が自分に特別な関心を持っていることを知っている。それが、三成に、「猿に奪われる前に、そなたがわらわを奪え。」というような言葉になる。
寧々(浅野ゆう子)が別の場面で千代に、「茶々と秀吉は戦をしている。」と言い、茶々がひとり懸命に秀吉にあがらっていることを見抜いているのだが、この三成と茶々の対峙の場面に、永作の眼差しはまさにそれを表して観ている者の胸をひりひりと痛ませるものがある。橋之助の目も美しく、一見この二人は不似合いに見えるが、成功している。今後の展開が楽しみだ。


来週は、千代と一豊にとってあってはならない事態がおこるのではないかと思わせる予告である。蔵米が空になったことが災いするのか、それが最愛の娘の非業の死となっていくのか。