坂東真砂子さん 子猫を日常的に殺すと言う②

イザのブログに行ってみたら、そこでも坂東さんの子猫殺しの記事が出ていたものだから、また坂東さんへの不信感と、問題の核は何か、を考えたい思いにつきあげられて投稿してきたので、その記事をここにも持ってきた。
何か、書いても書いても、自分が感じている問題の”核”をとらえてない気がして、これに関することは、ホームグランドのここに集めておきたいのだ。そのうち、霧が晴れるように肝心のことが見えてくるかも知れない。


ーーーーーーーーイザブログに書いた記事 ここからーーーーーーーーーー
坂東さん
生まれたばかりの子猫は、まだ目も開いていませんが、捨てようと子猫をつかんだあなたの手は、子猫の生きている温みを感じ、もごもごと動いてくすぐったかったでしょう? あなたの指のあいだを母親のお乳をさがすように吸い付きませんでしたか。小さいのにゴロゴロと愛情いっぱいの表現をして。ミ〜ミ〜とあどけない柔らかな声を出して、何疑うことなく、あなたの手をなめたでしょう。

・・・この生命=真理という事実を手にしながら尚、種子をなくする避妊手術と生まれてから殺すのは同じ、とご自分の死生観とやらを成就させる方を選択したのですね。


猫はどう思うでしょうか。
ようするに、生まれた子猫に愛情も何も感じず、面倒だっただけだろ。でも、めんどくさいとはさすがにいえなくて、適当な理屈をつけて自分の行為を、死生観とやらに味付けしたのさ。人間は偽造、粉飾が好きだからね。特に自分は選ばれた存在と思っているやつらはね。


坂東さん、あなたはこう書いていらっしゃいます。
”人は神ではない。他の生き物の「生」に関して、正しいことなぞできるはずはない。どこかで矛盾や不合理が生じてくる。”

私、ここを読んで思わず笑っちゃいましたよ。自分の行為を正当、あるいは人生観とやらにまで高めたいがために、こんな当たり前のことを使うあなたの幼稚さと粉飾ぶりに、です。
そうした矛盾や不合理を背負いながら、人は、生命を愛するものではないですか? 愛するために、生命を守るためにこそ、矛盾と不合理と闘い、受け入れ、反発し、苦しむのではないですか? 違いますか?? 


殺しの正当化に使う身勝手と愚かさから、抜け出て成熟していかなくていいのですか? ほんとに人間ダメになってしまいますよ!!!