みけさんより『聖書には「神の意思(風)は、その意のままに吹く(ヨハネ、3:8)」』

みけさんがお忙しい中、私の記事にコメントに寄せて下さっていまして、その真摯なメッセージはコメント欄で埋もれさせておくのは忍びがたく、またまたここに記事として移動させていただきました。
私のレスは後ほど追加します。

ーーーーーーーみけさんのコメントここからーーーーーーーーーーーー
事故で家族を失っても、遺族にとっては殺人と同じです。復讐心が沸き起こるのもむしろ人として当然の事、それをしたり顔で「事故なら仕方ないし、復讐に何の意味がある?広い心を持て」とか言う人には、やはり「言葉の大切さ」というものを考えるというか想像してほしいなぁ…と思います。


 『風立つままに』、デザインとともに、とてもきれいなタイトルで好きです。聖書には「神の意思(風)は、その意のままに吹く(ヨハネ、3:8)」という言葉があります。フランス語でL’esprit souffle ou il veut(レスプリ・スフレ・ウー・イル・ヴェー)と言いますが、坂東さんはフランス語話せるのかな?もし話せなかったら、生活するのが大変で、それが弱いものを殺す事につながってる可能性はないか?と想像…。悩みを話せる友達とかいるのでしょうか。どんな境遇にあっても(しかも自分からタヒチに行ったのだし)、生を奪うというのは問題外なのですが、そんな事を本日考えてしまいました。


 たとえば聖書、仏教経典、コーランでも、人が勝手に解釈し、極端な場合はカルトのように、世界が明日にも終わるような事を言って不安を煽り人を誘い入れ、その教祖の支配欲などを満たすケースが多々ありますね。こうした連中の出現は残念ながら止められないので、いかにそういう団体、教祖タイプの人間が危険なのかを地道に社会に知らせていくしかないと思います。そして若い人達には、自分の身、思考を誰かに差し出す前に、「くだらない世界を変革してやる」などと思わず地道に日々を積み上げていってほしいです。社会とは、そこから離脱してテロを起こしたりしても何も変わらないものです。歴史を見てもそうした事で社会、世界の何が良くなったでしょうか?そして、一人の人間が真実を独占する事などありえない、「正義」、「善」、「幸福」といったものを一元化する事はできないのです。それを無理矢理「一元化」しているのが独裁国家、そしてカルトです。


 日本は法的にもまだ、カルトに対するスタンスをはっきりさせていません。金と票にひかれて政治家達が擦り寄る事もあり市民レベルでの危機感は余りありません。もちろん何を信じても自由ですが、その延長に他者を傷つける事があるのならば、法が掛けられ処罰されます。また、こうした団体は洗脳テクニックを持っているので、「自分は大丈夫」、「話のタネに行ってみよう」などと面白半分に近づく事は、自分の人生、周りの人達、そして社会を守るために絶対にやめて下さい。また、はじめは宗教団体ではないと言いながら、メンバーと信頼関係ができた時になりはじめて、「実は」と打ち明けられる事もあると思います。その人と個人的に仲良くなり、信頼できると思えてもその場合は、「なぜ嘘をついていたのか、まっとうな団体なら正体を隠したりしないだろう」と言って立ち去り、断固とした態度を取り続けてほしいのです。


 新興宗教の全てがカルトという事はありませんが、もし新しい団体に行ってみようと思ったら、その前に既存の宗教、仏教、キリスト教イスラムでもそこの本元を訪ね、そしていろいろな角度から勉強してみていいと思います。自分の生活を捧げる前にこうした時間は無駄にはならないからです。カルトは例えば、ノストラダムスの詩を題材にする事がありますが、これは古いフランス語で書かれたもので、日本でいうなら昔の人が書いた俳句です。そして日本語の訳も、フランス語を知らない人達が自分の好きな日本語にして、原詩とは全く異なるものにしています。信じるのもいいですが、それはフランス語を学んでからでもいいと思うのです。


 あっ、フランス語の聖書の言葉書いてるうちに…他に書きたい事あったのにごめんなさい!またです〜(汗)。


 ☆おまけ☆ Qui mal veut,mal lui tourne. (「悪を行うものに悪は戻っていく」、キ・マル・ヴェー・マル・リュイ・トゥルネ)。『悪』とは何ぞやとなるとアレですが(笑)。日本の「因果応報」にあたるフランスのことわざです。生命を破壊する事、それに罪の意識を感じない、良心の呵責が心に生まれないというのは「悪」といってよいと思います。。。』 (2006/08/30 00:56)