昨日の犬

昨日、仕事の関係でひたちなかまで行った。行きは遅刻してはいけないので高速道路に乗ったが、帰りは街の中を走った。
途中、一匹の犬が歩道をこっちに向かって来るのを見た。


雨がしょうしょうと降っていた。
犬は白い短毛のラブラドールに似て大きかった。
雨の中を好んで歩く犬がいるとは思えないので、私は、(あの犬、どうしたんだろ?)とその犬から目を離さず車を走らせていた。
やがて犬が近くになり、その表情まで見えた時はっとした。
苦痛と寂しさと困惑で、犬が顔を歪めて必死に歩いていることがわかったからだ。
そして、その犬のおなかが大きいこともわかった。
私は、犬が、子犬が産まれそうな直前に捨てられたに違いない、と感じた。
路頭にいる犬が、みんな捨てられたとは限らない。自分で遊びに出て迷うこともある。雄の場合は雌を探してひたすら走り、帰り道がわからなくなることもあるだろう。
だが、おなかの大きな犬が、それらにあたるとはどうしても思えなかった。
あの犬は、出産が近い中捨てられ、必死に必死に必死に家を求めて帰ろうとしている。あの顔の苦痛と寂しさとどうしてこうなった、という困惑の表情の辛さ。


私はなんとしても、あの子を救わねば、と思った。だが道は狭い一車線で、車の列が後ろも対抗側も混んでいた。
停車は難しく、またあの犬にうかつに近づいては、怯え車道に逃げようとする可能性もある。
そんな思いですぐに停車ができず、やっと回れる道を探して引き戻したが、もはや犬の姿は見つからなかった。


その後は涙が溢れるにまかせて車を走らせた。そして祈った。
『あの犬が、安心して休めて、空腹を満たして、綺麗な水が飲めますように。あの犬にそうさせてあげる誰かが現われますように。そのまま、あの犬が安心して子供を産み、育てることができますように・・・。』
どんなに祈っても、私の胸は満たされなかった。
ただ寂しく悲しく辛くてならなかった。
今も続いている。仕事ができないくらいに。
昨日、私は犬の行方をうろうろとさがしながら思い祈った。
「ごめんね。私もいつか、あなたのような最後を迎える。私はそうなる。それに免じて許して欲しい。」
この祈りが、かろうじて私を支えている。


こうやって生きた。家族を不幸にして。
こうやってそう遠くない死を迎えるだろう。
それにしても、どうしてこう腹が立つのだろう。
誰に? わからない。わからないけど腹が立ってならない。腹を立てながら今も泣けて仕方がない。