昼も独語

■退会せず
坂東さんの仔猫事件は、私に相当な疲労をもたらせた。
まずこの行為そのものへの反発と、彼女の言い草への疑念にすっかり参ってしまった。そして、この事件が沢山の人の関心を呼んだこともあって、私のごく個人的な発信にもいろいろな反応があって、そのことに私なりに必死に向き合いそれでなお妙に重くなった気がする。
この間、ある”問題”が生じて、その経過の中で、所属している文学団体を退会すると書いた。
後にある問題というのは問題外のこととわかったのだが、以前から、自分がここ何年か執筆活動もしていず、そうした団体の会員でいる資格がないことに拘っていたので、いい潮時だと思い退会届けを出した。これを機に筆名も廃するつもりだった。
ところが、私には思わぬ展開になった。
この文学団体に入会する時、私を推薦して下さった作家のM先生からお電話をいただき、励ましていただいたのである。とても親身な励ましであった。
私には、天地がひっくりかえるくらい嬉しいことだった。
私はこれまで、私を励まして下さる大先輩や仲間の励ましを励ましと感じず、微妙に拒絶してきたところがあった。
これは私の未熟、自意識過剰によるものであったが、それだけではない部分も加味し、本当に何もかもいやになっていた。殆どが退屈でつまらなく好きにもなれなかった。どこへいっても、”顔役”の言葉に毒された視線と決め付けを浴びてる気がして、そういう人たちが尚嫌いになり蔑する気持ちが起きてならなかった。


M先生の言葉は、清潔で温かかった。
私はそれを感じた一瞬に立ち直ったのだ。


この立ち直る一瞬が、ここのところ何度ももたらされた。
ねこんさーとの山崎さんからの手紙もそうであった。
山梨で猫たちと暮らし、猫の絵を描き続ける画家、かじゅこ松島さんからももたらされた。
かじゅこさんは、激痛に襲われ、股関節の手術を二度もされ、今は退院はされたが以前のようなお身体ではない。
そんな中、私の苦渋を理解し助けようとして下さっている。


こうした感興に従って生きることを決めた。感謝して。
それで、坂東さんの事件で気持ちが騒ぐ最中、事件に直接関係ないのに実名で失礼な書き方をしたページは削除した。
実名でも、坂東さんに限らず、その事件そのものに関係し、名前を書くのは避けられないと感じて書いた場合は、そのままにしてある。


■竹中さんの辞任
テレビやラジオで、竹中さんの辞任を批判している人が多い。
批判は、議員を任期を全うしないで辞めることと、小泉さんの力になりたかった、ということにある。
私は経済のことにはさっぱり関心すらないので、竹中さんがいい大臣だったのかどうなのかも言えるものがないのだが、確かに任期が大分残ってる中やめるのは無責任だ、と思うのだけど、ただ、やめることを批判する人の中には、竹中さんのやること言うこと、みんな否定していた人もいそうな気がして、『さんざんやりにくくしておいて、よく言うなぁ・・・。』と、ふとため息をつきたくなった。


それから、小泉さんの力になりたかった、と言う感覚は、政治家としては、こういう言い草はよくないのだろうと思うが、人間として正直な言葉だなぁと思った。
この人は、大臣やってるのがつくづく嫌になっていたのだろう。人間なんか大っ嫌いだ、とも思っただろう。(幼稚な言い方で恐縮ですが。)それを支えたのは、小泉さんへの人間としての信頼と、友情があったのだろう、と思う。
そういう人が、政治家として生きるのは大変だったろう。
経済も政治も無関心の私がこんなこと言っては笑いモンモンですが、正当な批判は堂々としていいけど、そうでない、ただ傷つけ汚す罵詈雑言の類の石投げはやめて、見送ってあげてはどうでしょう。