今日の独語

■末期がんの女性を殺した男性
末期がんで入院していた女性をカッターナイフで殺し、行方不明だった男性が逮捕されたとのこと。
こうした事件は、報道される状況では何もわからない。
ただ人が生まれて、生きて、やがて死を迎えるという人生というもの、その最期を多くの人が感謝や平穏で終わることを望むのだろうが・・・”生まれて生きて死ぬ”ということはかくも凄絶なものだ、ということを知らされた思いがする。


ここからは、亡くなった女性と逮捕された人には関係のないことだが。
私の場合は、私がいかに頼んでも私をかっ殺してくれる人など絶対にいないから、やっぱり道端でころがって死んでる犬や猫のような死を迎えるのだろうが、これはこれでまた凄絶なもので、その覚悟をあらためて内に言い聞かせる。
・・・その時、それはそれで、自分の生の全部に感謝を感じる気はするなぁ。特に、出会った猫たち、犬たち、生き物の全部に。


ミクシィについて雑感
システムは複雑だなぁ。昨日、何人かの方のミクシィに行ってコメントやメッセージを書いたのだけど、今日、もう一度そこを見たいと思ったのだが、自分の書いたコメントやメッセージをどこに書いたのか見つけることができなかった。
やっぱり老化した頭では難しいところかも。でも、なかなか楽しいところである。妥協しないで自分の発信を続け、コミュをゆっくり探すなどしていけば、老若男女の誰もが有効に活動できる場になるかも知れないとも思う。
ただ今のところ、発信の仕方などイマイチひらめかないが・・・。


■摘みたての果実の美味しさ
果物が好きである。我が家の、犬に占領されているぼろぼろの庭に、初夏には大粒のタロウグミ、夏はプラム、今はイチジクが実る。手入れもせずほったらかしの樹が授けてくれる貧弱そのものの実でも、摘みたての美味しさは気持ちを和ませてくれる。
ところで、梨園に行くと、今は摘み立ての新高梨がある。
夏から彼岸までは豊水だった。
摘み立ての果実をいただく幸せを味わうこの季節、大好きである。


さてこれから、昨日買っておいた新高梨を食べて犬たちの散歩だ。猛暑の間もこの重労働を支えてくれたのは摘み立ての梨(豊水)だった。