http://ark-angels.com/rescue.html
「日本にアニマルポリスを誕生させよう!」さん、「アークエンジェル」さんのブログを拝見しますと、犬たちの受けている苦痛を表すには言葉も見つからないほど酷い実状であることがわかります。
欲の皮をかぶった人間の残酷さ、浅ましさにこちらの生きる意欲すら奪われそうになります。虚しさに落ち込むばかりになりそうです。
でも、実際に救出のために心血を注いでおられる方々のことを考えると、そんな弱いことではいけませんね。
せめて少しでもカンパを送ることができるように頑張ります。


あらためて、
この広島ドッグパークの惨状に気づいて、「アークエンジェル」さんに通報した方、
それをすぐに受け止め、調査し、果敢に救出に動き出された「ア−クエンジェル」さん、
アークエンジェル」さんを助け、全国にこの真実を伝え、国にも代議士氏を通して訴えておられる「日本にアニマルポリスを誕生させよう!」のkanakoさんと仲間の方々に、心から敬意を表します。


私はこれまで、一人っきりで、自分に迫ってきた動物にまつわる事象を受け止め出来る限りの力をしぼってきましたが、そういう中で、正直なことを言いますと、愛護運動というものをしている人たちから、深い傷を受けてきました。
その人たちの中には、動物のために何もせずただ自分の都合のいいように言う人の言葉を信じて、動物を救うことに必死につくし、深手を負って苦しんでいる私を鞭打ち、石を投げるに等しい誹謗中傷、それも殆ど真実と異なることを言い立て広めた人もいました。
そういう人たちの中には、自分こそ愛護運動の指導者のような位置に立ちたがり、先生と呼ばせている者すらいるのを私は知っていました。
また、そうした運動家の人たちにの中には、動物への愛情など微塵もないと感じる人がいることも知っていました。
だから私は愛護運動というものに深い深い不信感をもっていました。未だに日本の動物行政が生命尊重などほど遠いのも、国民の動物観の貧しさも(勿論全部の人がではないですよ)、愛護運動の間違いにも責任があると思っている部分があるほどです。


愛護運動というだけでなく、社会の中の、動物が生きることに対する意味の認識が未熟というか貧しいですよね。
実際、ある新聞記者の方が、熊の被害にあうことに対して、『熊が大事か、人間が大事か』と主張されているブログを拝見したこともあり、その思想の貧しさに落胆したものです。ちょっとわきにそれますが、熊の被害にあってる実状を前に、「熊が大事か、人間が大事か」と問えば、殆どの人が人間が大事だ、熊は殺してもいい、となるのは当然ですよ。またその気持ちを誰も非難はできません。
ですが、「熊が大事か、人間が大事か・・・・・人間が大事だ、被害を及ぼす熊は”殺駆除”すべき」という論理を、これを絶対として、それ以外の思考はすべからくどうしようもない人間の思うことだ、とする新聞の精神って何でしょうね?・・・こうやって成った社会が今なのではないですか?・・・これを言うには、この展開では無理ですね。スミマセン。


話を元に戻します。
言いたかったことは、今回のアークエンジェルさんの活動は、これまでの愛護運動への不信を払拭するものだという自分の心情を吐露しておきたかったことと、
もうひとつ、もっと大事な点、
アークエンジェルさんの動きは、今後の日本の愛護活動を一気に本物にしていくだろう、ということ、このことは、単に”動物愛護”の問題に留まらず、社会の大きな問題として立ち上るだろうということです。