幻想と現実

夫がやっと眠ってくれた。思えば夫は、私が私の用事で夫を施設に宿泊を頼んだ後は必ず徘徊がおきる。
今夜は雨の中ぼんやりと立っているところを連れ戻した。もう少し時間が経っていたら、肌にまで雨が染み通っていただろう。そこまでには至らなかったのは幸いだった。
脳梗塞をおこした人は、風邪をひくと肺炎になりやすいんですってよ。もう雨に濡れないようにしようね。ずうっと仲良くして、長生きしてもらいたいのよ。」と頭を拭き、服を着替えさせながらしみじみとそう話すと、夫はうん、うんと頷いて、その後すうっと眠りに入ってくれたのだ。
もう無理をするまい。自分の一生懸命さや誠実さは、夫と動物たちに注ごう、と静かに思った。


人のなかにはもはや幻想しかないと思うことがある。人は、ホリエモン一人に拝金主義の罪を背負わせているけれど、それ以前に営々と人々が物質主義と競争主義の世界を作ってきているではないか。それを自覚しない人たちが多い社会に、何を求めたらいいのだろう、私は。他者の美徳も特性も、その人たちの前ではただの無価値の獲物となるだけに思えてならないし、私などまさに塵のようでしかない。


なに、わかっていたさ。充分にわかっていたよ。それでも人は幻想に賭けなきゃいけないんだよね。社会に生きるということはそういうことだ。
もうそんな無理をすることはない。もはや誰かに守られなくては立っていられなくなっている傷つきやすい認知症の夫と、私の手の必要な猫たちや犬たちに尽くせばそれでいいのではないか。私には今やそれしかないような気がする。
そう、幻想とは自分に抱くもののことだ。
そんな幻想に二度と迷わず、夫と動物たちの現実に戻ろうと思う。私の懸命さや真心は、そこに注ぐべきなのだ。


さて、と。私もこう決心してやっと眠れそうだ。