森の仔猫 崖下で生きる

昨日のことである。
犬のママシロ、プチ、ミナミサンといつものように森と森の間の道を行き、そして引き返して家に帰りかけた時である。右手の森から猫の声がひびいてきた。聞くからに幼い、もしかしたら生まれて間もなくの猫ではないかと思える声である。
ついさっきの行く時は聞こえなかった。何分も経たない帰りに急にこの声である。
私たちの足音に感応して泣き出したのか、あるいはすれ違った車が投げ捨てたばかりなのか・・・いや、そんなことどうでもいい、とにかく救い出さなくては! と思ったが、ママシロたちは元気盛りなので、連れたままではどうぢようもない。そこで急いで三匹を家に連れ帰り、他の犬たちが、今度は自分の番だ、といそいそと待っているのをそのままに、単身で急いで森に引き返した。犬たちが、「どうしたのー? ぼくはー???」とわめくのを聞こえぬ振りして走って行く。


声のしたところに戻ると、声がもうなかったが、私の気配を感じたのかまた泣き声がひびきはじめた。
道のない笹薮をかきわけて入る。さっきと同じ方から聞こえるので、箱に入れられてるとふんだのだ。箱に入っていれば、私の足音に怯えて奥に逃げ込む心配はないからだ。
声がしなくなると、「チチチチ・・・。」と呼んで応えてくれるのを待った。声を頼りに探すので、声がしないともうどうしようもないのだ。
呼ぶと、「ニャ〜ニャ〜」と懸命に応える。
そのあたりに近づいているのに箱がない。私は笹薮の根元を目をこらして満遍なく見ていくが姿がない。だが声はすぐそばでする。
そばにビニール袋が落ちていたので、その下にでもいるのかと袋をどかそうと持ったら、ナント、その中にいた!
ビニールに入れて、まさにゴミとして投げ捨ててあったのだ。
急いで袋をのぞくと、二匹の幼い仔猫がいた。白い色の一匹は頭からびっしょり濡れて、もはや口を力なくひらきぐったりしている。だが息がある! 黒っぽいさば色の仔猫は元気に動いている。この子が、「おなかすいたよー! 寂しいよー! お母さん、どこー!」と必死に親を呼んでいたのだろう。
見ると、やっと目が開いたばかりというところである。多分生後一週間だろう。親の懐に潜ってお乳を飲み、眠り、おしっこもうんちも親にとってもらってまた眠る、という年である。とにかく親から離されたら、飢えて死ぬしか術のない時期である。
その仔をビニールに入れて森に投げ捨てたのだ。どこぞの人でなしは!


そう思って、私ははっと気づいた。
ここは崖下なのだと。
崖上には、仔が生まれると、すぐにこの崖下に投げ捨てる人たちがいる。その崖の下なのだ、と。
そう、つい何ヶ月前かも、同じここで三匹の仔を拾った。
昨年もそうだった。その前の年も・・・・・。
そうか、崖下か・・・と私は心に呟いた。
崖の上には、こうして仔猫を投げ捨てて、その行為を、才能ある作家はこうであるのだと、その誇示のようでしかない捨てる理由をメディアを通して流す人たちがいる。
そのことのおぞましさをあらためて思い、私は二匹の仔をエプロンにくるんで家に帰った。とりあえずおなかをいっぱいにしてやりたかった。スキムミルクをお湯でとかして、人肌にさまし、スポイトで少しづつ飲ませる。
白い仔は、もはやぐったりとして飲み込む力もないように見えた。
だが、一滴ふくませると、弱弱しくながら飲み込むのがわかった。そして、微かな声で鳴いたのである。
「ママ〜、来てくれたんだね〜。」
この仔はそれが最後であった。
犬の散歩を終わって戻った時、もうその子は旅立ったあとだった。


一夜明けた今朝、さば色の仔は元気である。
ホカロンで温かくした箱で眠り、今朝はミルクを飲んだ後、新聞紙の上をヨタヨタと歩く。
今日は片道三時間かかるひたちなかまで取材に行く。この仔も連れて行く。
大きな猫になろうね。
私はしみじみ思うよ。崖下に生きる自分でよかった、と。以前は崖の上にいることしか知らない時があった。永遠のノラに出会ってから、私はいつの間にか崖下に住むようになっていた。
ある時期まで、それが苦悩であった。・・・今は違う。生きるべき場所に私は辿りついたのだ。


註:仔猫の首をつかんでいるように見える写真ですが、小指の部分でちゃんと下を支えておりますダ。顔を撮るにはこうするより出来ませなんだんです♪