自分にとってのブログ及び動物問題総括

総括、なんて言うほどの取り組みをしてきたわけではないのだけど、自分の気持ちのきりがついた想いを述べると、ブログは、自分が気になったことを書きたかったら自分の言葉で正直に書く、これだけのこと。
この線で言うと、ミクシィって、あれは邪道にならないか?(あ、あくまで私個人にとっては、という意味です。)


そして動物問題だが、私は運動家や活動家になりたいわけではないので、自然に生きればいい、とやはりこれだけのことだ。これは誰かや何かを批判してということではなく言うのだけど、動物問題に限らず、団体につるむと、結局は、崖上の権威主義志向に進んでいく気がするのね。私がどこでもいつでも、”個”でありたいのは、そうした権威志向を拒絶するところにあることで。・・・これは、”権威”を否定しているのではない。私なりに想う”権威”はとても尊重している。
ただ、個の思考、視点を持たない、あるいはそれを許さない権威思考の団体は、単なる裁定者の集まり、それも質の低い、になる気がして、その一人になるのが嫌でならないのだ。
人と人の交流が誰かの裁定のもとでなされるものではないように、動物とのつきあいも、向かい方も、自分の魂にそって自然になされていくものでしょう。私はそれに従って生きてきたし、これからもそうだろう。・・・このことの再認識をした・・・というのが、私自身の総括。


このことは愛護関係の人や団体の欺瞞や独善に振り回され、自分を壊してしまった(これ、そういう人や団体が悪い、と言ってるわけでも、被害者意識で言ってるわけでもないですよ。自分がそのくらい何もわからず、ただのお人よしを晒してボロボロになった情けないやつだった、ということを言っている。)二十数年前にわかっていた。
なのに、ホームページを作るにあたって、またわざわざそういうものを作った自分というのはいったい何を求めていたかと言うと、これは坂東さんのおかげでわかったんだけど、私は、崖下で生きる人に出会いたかったんだね。崖上で、先生と呼ばれたい活動なんかじゃない、崖下の魂に会いたかった・・・そういうことだったんだ。
この、会いたかった、と思いつめていた自分を考えると、それだけ孤独だったということでもあるけど、要するに情けない弱虫だってことの証明だ。
坂東さんの事件以来、そのことがじょじょにわかってきて、崖下の人間は崖下の人間らしく生きてりゃいいんだ、と悟った。そういうことだ。


こうして自分がわかってくるって、これこそ日々が新たに来る、というのか、自分が日々生まれ変わる、というのか、そういう感覚なのだと思う。
今にきっと、崖上でも崖下でもない地に行ける。その時は、崖下の生き物はみんな一緒だ。
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上の記事を書いたばかりだというのに、他の崖下の犬たちに会ってしまった。
http://www.animalweb.jp/bokuiki/tatou_hp/index.html

まだよく見ていないのだけど、これは広島ドッグパークの例とは違いますよね?
無責任、身勝手な人たちが、ここに捨てに来てこうなったんではないのですか?
もしそうなら、犬を助けること以外でやるべきことは、あくまで怒る対象は、無責任、身勝手な崖上の人間に対してですよ! そこを間違って、捨てられ続け、こうなってしまった人を悪の中心として弾劾して終わりにするなら、いじめですよ。
・・・・・ここの肝心なことを私はまだ知らないのですが、とにかく犬たちに少しでも役に立つならと思い、URLをはりました。はったからには、私はカンパを送ります。言わせてもらいますが、私のカンパは、自分の生活を賭けたなけなしの生活費の貴重な一部です。崖下の私は、今やこうして生きています。
うちの犬たちを、ここの犬のように見る人がいるとしたら、私は決してその人を許さない。そういう人こそが、日本の動物を不幸にしている、と言っておきましょう。