太田総理 秘書田中『武道を義務教育に入れる&いじめ問題』

金曜日にこの番組があることがまだ身についていなくて、テレビをつけたら、この番組の終盤になっていて、最初から観れなかったことを後悔した。
武道を義務教育に、というのは殆ど意見や発想のもとを聴けなかったのだが、思い出したことがひとつある。
武道というのとは違うが、長男が小学校の五年になった時に、部活で何かを選ばなければならないことがあったのだけど、それを決める前に、担任の先生と保護者の面談があって、私が話の流れで、「息子は相撲が好き。」と話した。それは観戦が好きという意味で言ったのだった。忘れたが、長男はお相撲さんの誰かを贔屓にしていて、テレビ観戦をよくしていたし、息子の祖父になる私の父に連れられて両国まで相撲を観に行き大喜びしていたので、話しただけだった。
ところが先生は、部活のことだと思ったらしく、長男は相撲部にさっさと入れられてしまった。
そして一年間、長男は、さんざん投げ飛ばされる時間を過ごした。何しろ、長男は針がねのように細い身体で、力は皆無、殆ど体育能力のない子だったのだ。
「相撲をとっている」としたいじめの一年間だったわけだ。
後に長男は苦笑いしながら、「悪夢、生き地獄のような一年だった。ぼくは絵の部活に入ると決めていたのに、なんでこうなったか。」と言ったものだ。
私は大笑いしていた。


いえ、別にだから武道を悪いと言ってるわけではないダス。ただ思い出しただけで。
番組の最後に、国民は怒ってるゾ、というのがあって、今夜の一位は、「いじめ」だった。
この時、出演者の一人の若い女性が、自分は小学生、中学生といじめにあってつらかった、と話していた。すると、台湾の女性評論家(?)が、「何で親にいわなかったか。」と険しい表情で決め付けていた。
これにはゲゲッであった。ヤレヤレでもあった。私は苦手だ。


いじめは私も受けた。8歳の時に継母が自殺した後、クラスでいやなことが結構あった。
でも、当時、死にたいとは思わなかった。あれは私がまだそうした感受ができる力がなかったのだろうと思う。
死にたいと自覚するようになったのは高校生になってからだ。これは別に学校でいじめられた、などがあったのではなく、上京して父親と二人暮らしになっていて、その父親が嫌いで怖くてならず、それで死にたいと思いつめた。父があんまり嫌いだったので、学校だろうとよそだろうと、他人はみんないい人に見えた。
今思うと、田舎の高校から東京の私立の女子高に転校して後、テストの点数などがいいと、「田舎者のくせに!」とクラスの何人かの子に囲まれて脅されたりしたことがあって、あれなどいじめに入るのではないかと思うのだけど、そんな自覚は全くなかった。結構楽しかった思い出だ。


そして息子もいじめられた部類に入る。担任から、私が呼び出されて、「いじめられている。」と言われたぐらいだ。でも私は全く気づかなかった。息子へのいじめは結構ひどかったようだが、息子は、大人になってから私がそれを訊いても、本当に意に介さないというか、苦笑するだけで痕跡は見えない。
いったい私たちはどうなっているのだ、と思う。
私は置いていかれる猫や犬のことで苦しんでいるし怒りや蔑視感は相当あるのだけど、恨みのようなものはない。ひどく暢気である。だからこんなに切羽詰っていてもケロリとしているのだろう。
でもこれ、美徳じゃないなぁ。なんというか、頭が悪いというか、どっかおかしい類ということではないだろうか。


ところで、太田総理 秘書田中、という番組だけど、太田総理が懸命に怒ってくれるので、いつの間にか私は自分の暢気を取り戻している、という気がする。ありがたいことです。
ああ、それにしても今夜は(も)眠い。さっぱり頭が働かない。