南極物語

ディズニー映画が、かの日本の南極調査隊が置き去りにした犬たちの映画を作り上映するとかで、テレビでその宣伝がとく出ている。20何年か前に上映された蔵原惟繕監督の南極物語もテレビで放送されるらしい。


わ〜、私はダメだ。犬たちを昭和基地に置き去りにして、しかもつないだまま帰ってきたというニュースが流れた時、私は子供だった。そのニュースで何日熱が出て吐いて、どれだけ痩せたか!

はじめて東京タワーに行った時、そこに生きていたタローとジローの彫像があって、それを見たとたん、すっかり元気をなくし、せっかく前々から楽しみにしていたタワー見物が台無しになった。友人たちにはすごい心配もかけた。

映画化された時なんか、街を歩くのも嫌だった。ポスターがいたるところに張ってあったからそれを見るのが辛かったのだ。

でも、蔵原惟繕監督の南極物語を救いと思ったのは、犬を一匹も犠牲にしないよう撮った、とスタッフだった人に聞いたから。
今回のディズニー映画も、犬たちは収容施設にいた中から選んだとかで、現在その犬たちはアメリカでスターとして大切にされている、とテレビの司会者が言っているから、映画製作のために犠牲にされた犬はいないのでしょうね?

ハリウッドでは、”いい映画”だかなんだかのポリシーのために、実際に犬を殺したりするでしょう。(過去にあった)
私はこんな欺瞞はないと思っている。表現の価値は認めるが、動物の死は実際にそうするというのは間違っている。あくまで、”表現”をすべきでしょう。動物は映画制作上殺しても罪に問われないからそうするだけの、最も安易で卑しい表現手段といえるでしょう。


というわけで、動物の出る映画は私は弱い。悲しい実話に基づいているものなど考えるだけでダメだ。

というわけで、南極物語にはソッポ向きます。わざわざここに宣言することではないですが。また急に、置き去りにされた犬のことが辛くて辛くてならなくなったもので。それに、
テレビの司会者が、「人間と犬の絆がどうのこうの!」と感動して言ってるんだもの! 南極の犬たちを語る、あるいは表現するって、そういう範疇で語ったり表現することじゃないっしょ!? その範疇にしておけば多くの感動を呼ぶのでしょうが、それでは犬たちに失礼っしょ! 人間よ、謙虚になれって言いたいね!