柳生十兵衛島原の乱 慈父の剣・・・補足『みんな死にたいのだ』
村上弘明柳生十兵衛竜雷太と対決する前、竜雷太が仲間の年寄りたちとともに島原に行くと言うと、十兵衛がなぜ? と訊く。それに答えて、竜雷太が万感の思いをこめて言うのだ。
「みんな死にたいのだ。死に場所をさがしているのだ。」


このセリフを聴いたとたん、私は涙が溢れて困ってしまった。
島原に行くと言うのは死を意味している。天草四郎の謀反に加わわろうと言うことなのだ。竜雷太は、謀反が抑えられることがわかっていた。それで、「死にたいのだ。」(死にに行くのだ。)と答えた。


これは、実際は、「生きたいのだ。」と言っている。「生きるために行くのだ。」・・・『義があるなら・・・・・』を絶対前提として。
竜雷太は、一人息子を、公金横領の末に自殺したとされている。狡猾な強者の口の前に、息子の潔白を認めてくれるもの(権威)はいない。まさに、『義のない今生には生きていたくない。』のだ。
では、島原で義のための闘いをし、そこに夢を見出せばいいではないか。島原の謀反は、義と平和のために、義のない権力に闘いを挑むものであるはずなのだから。


だが、この罪人の父とされる老いた武士は、息子の冤罪を晴らし、敵を討った後に、十兵衛に挑み、島原に行くことを「死にたいのだ。」という言葉で告げる。老いた武士は、島原の謀反に義がないことをわかっていた。そして、十兵衛と闘い、十兵衛に切られることこそに義を見出していたのだ。・・・私が泣けてならなかったのは、ここの切なさだ。


富豪刑事
昨日、断片的にだがこのドラマを観たのを忘れていた。先週からの続きだったのだが、当然ですが江守徹さんが犯人でした。スペインの街並みまで作ってしまう大富豪のファンタジー、歯痛に耐えながらですが楽しみました。金平糖に毒が入ってるのは観てれば誰でもわかることなのですが、それでも面白かったっす。


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